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「寂しい時代」

ぼくには
子供がいます 1人います
1人だけですが
 子供がいます 息子です

子供を生んだのは妻です
男のぼくには 子供は生めません

男の生む子供――それも将来は「ある」かもしれないけれど
子供は女が生むもの
それは絶対的事実であってほしい
ぼくはそう思います

子供を生めるのは女だけです
生まない女 生めない女 関心のない女
 人はさまざまなので
それはそれ これはこれ あれはあれ
みんな違って みんないいのです
そうです それは認めます

ただ
子供を生む 生めるという絶対的機能を「使う」女が
〈わたしが生んだ!〉

 子供と生命の讃歌を無邪気にうたったら
 子供を生んだ
 子供がいる
 子供を育てている
そんなこんなで 生まない女 いない女にマウントをとっている――
 今の時代はそう捕らえるような気がします

詩人・新川和江の
詩「赤ちゃんに寄す」
そこに そういうものを感じたのです

新川が子供を生んだのは おそらく戦後の混乱も落ち着いて日本に平和と活気が満ちだしたころでしょう
そんな時代に
〈わたしが(子供を)生んだ!〉
と快哉を叫んだとして
多くはほほえましいと
その詩を読んで感じたことでしょう

しかし 今の時代には
ちょっと発表できないような…
SNSだと 炎上レベルでしょうか

ぼくは寂しい時代と感じてしまいます

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