見出し画像

インバウンドによる飛騨高山の変化

岐阜県の山間にある飛騨高山。

年間4百万人近い観光客が訪れる有名な観光地だ。

コロナ禍で観光客は激減していたものの、コロナ前は政府のインバウンド政策もあり、多くの外国人で賑わった。その影響もあり、良くも悪くも飛騨高山が変わってしまった。どのような変化があったのか、飛騨高山の古い街並みで生まれ育った筆者が解説する。

西洋人から東洋人へ

最初に飛騨高山に注目したのは西洋人であった。飛騨高山はミシュラングリーンガイドで最高5つ星を獲得して、10年ほど前からは西洋人が多くみられるようになった。古い文化や建物を残しているということで、京都よりも素朴な形を残す日本らしい場所が琴線に触れたのであろう。古い町並みはもちろん、寺院群やお墓の散策など、日本古来のものを見て楽しんでいた。また、近隣には世界遺産の白川郷や北アルプス、奥飛騨温泉があり、それらも多くの人気を得ていた。

一方で、地元で商売をする方々からすると、西洋人は財布のひもが固く、飲食店やお土産をあまり購入してくれない、また安いものしか購入しないというので嘆きの声が出ていた。

そして、5年ほど前から飛騨高山の外国人観光客は西洋人から東洋人に変わった。高山に訪れる東洋人の中では、台湾からの方が最も多く、次いで、中国大陸からの方々である。

折しも台湾・中国では高度経済成長を迎えて所得が高くなり、さらにビザの緩和措置もあって、多くの方が海外旅行をするようになった。そしてその中で飛騨高山も旅行先として選んでいただけるようになった。

西洋人とは違い「爆買い」と呼ばれるような贅沢に買い物をするスタイルを見て、飛騨高山の商売人たちも「これは金になる」と、こぞって台湾・中国人相手の商売をするようになった。ここから、飛騨高山の古い町並みのお店が30~50%程度増えた。

消えていく住民たち

地元民がいち早くそれを感じたのは不動産の動きである。古い町並みで一般の家であったところが、次々と売りに出されたのである。インバウンドの影響で土地の価格が急上昇して、お年寄りが住んでいた家は「都会に住む子供達のために現金化しておく」ということが起こったのだ。

また、同時にここ数年は不動産業者からの「地上げ」に近い現象も起こっている。とにかく商売をしていない家に対して、都会のディベロッパーが高額をちらつかせて購入して、それを転売、または自社で店舗を出店するということをするようになった。そして、飛騨高山の古い町並みは県外企業の出店が相次ぎ、さらに知恵を付けた住民は自宅を改装して店舗として貸すようになり、自身は家賃収入で郊外に家を建てて住むようになった。

これらの変遷を遂げた飛騨高山の古い町並みは、実態のない『映画村のようなテーマパーク』化しているのである。

そして、古い町並みの住民は減少の一途をたどり、住民によって守られていた伝統や文化ができなくなってきた。

例年数十万人が訪れる高山祭りも例外ではない。すでに10年ほど前から存続が危ぶまれていたのだが、近年は特にその兆候がある。

高山祭も縮小傾向

前述したとおり、観光地化で家を手放し、その場所を県外企業が購入をするため、住民は減る一方である。そして、高山祭の屋台や神輿は地域の氏子から成る屋台組、神輿組の持ち物であり、それを動かすのもその組の人々である

高山祭は多くの観光客が来るので、地元で商売をする人々にとっては稼ぎ時である。古い町並みの店舗にとっても同様である。しかし、高山祭の屋台や神輿を動かすのも住民である。体は一つしかないため、住民は文化の伝承のための祭の方に注力する。

一方で、住人ではない県外企業や地元であっても住民ではないところは、仕事優先のため、祭には参加しない。その代わり、数万円の『人足代』を支払って免除される仕組みなのである。

このような仕組みの結果、地元住民は高山祭の時には人手不足になり、店を休みにしたり、限定営業をすることとなり、売上も減少してしまう。その反面、非住民は祭りを利用して大きく売上を伸ばすのである。

つまり、伝統文化を守り、修理費用も多く負担し、寄付も行ってきた住民が稼げない状態になっているのである。そうなると、どのような現象が起こるのか。まずは、住民たちが生きていくために仕事優先になる。そして祭には参加しなくなる。先程の人足代というお金を払って済むのならは、そのようにすれば逃れられるということになる。そして、祭りに関わる事が減ることで、祭りの執り行いや、屋台や神輿の引き回しのノウハウが次第に薄くなってしまう。そして、跡取りが居ない家庭では、その家を県外企業などに売り渡してしまい、誰も住まない昼間の店舗だけになってしまうのである。
実際に高山祭については本年度から人手不足のために縮小していくという流れができた。特に人的資源が乏しい神輿組では大名行列は簡素化される方向にある。また、屋台組も今後は縮小化で進められており、今後は祭り屋台を出せないところも出てくるであろう。

かくして、飛騨高山のインバウンドの影響は大きな打撃を残していることが分かる。もちろん恩恵の部分も多く、インバウンド自体が悪いわけでもない。また、自由経済で行っている以上、県外企業が店舗を出すのも何ら問題はない。

伝統とビジネスの二律背反

少子高齢化社会を迎える中で、飛騨高山にも大きなその波が来ており、結果的に地元の町内での稼ぎが悪くなり、県外企業や非住民に多くのお金が流れて、高山祭のような伝統文化を守れなくなってきている。伝統や文化を守るということと、経済的な要素は二律背反なのか、はたまた共存できるのであろうか。

かという私も、古い町並みの家を高値で買取してくれる県外企業に売ってしまおうかどうか悩んでいる最中である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?