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「夢組」と「叶え組」 自分の中のシーソーバランス

「夢組」と「叶え組」

note上では、おそらく有名な記事だと思うが、そんな棲み分けを最近になって知った。

夢中になる能力がある「やりたいことがある人」を「夢組」だとしたら、やりたいことがない人は「叶え組」だ。
わたしの考える「やりたいことがある人」というのは、もっと湧き出る「これがやりたい!」というものがある人のことで、むしろ生活はできないかもしれないけどやってみたい、という手段としてではなくて衝動としてやりたいことがあるという人のことだ。
「夢組」のキーワードが「感情、衝動、行動」に対して「叶え組」のキーワードは「構造、観察、理解」かなと思う。

『あなたは、夢組?叶え組?』と問われたら、今までの自分だったら、「叶え組です!」とはっきり答えるだろう。だけど、そんなに単純でも無いなと最近は思う。


自分が「叶え組」だと思うワケ

自分の好きな人のチカラになれるときに、心底から力強いエネルギーが溢れ出てくるなあと感じるし、「自分の好きな人ために行動できている」ときが、最も”自分らしい”と思う。

それに、物事を論理的に捉え、分解し、整理できることが自分の強みだなあと思っていて、相手の考えていることを傾聴し、情報を収集・整理して、相手の足りない考え方、アイディアを補うことが得意だと思っている。

わたしは「叶え組」なので、やりたいことがある人の助けになれる。気持ちだけでやり方がわからないという人に手段や優先順位を見せることができる。それがわかってから、自分のその能力は単なるおせっかいとしてではなく、「叶え組」の強みだと堂々と言えるようになった。「やりたい」だけじゃ叶えられないことも、やりたいことがないわたしがいると、いいことがあるよと。

だから、「叶え組」の自分は、「夢組」の人たちの想いを形にしてきた。

2~3個のプロジェクトが同時期に終わったとき、「サポート能力が凄まじい!」「よっちゃんがいたから、ここまで形にすることができた!」と、似たような評価を数人からもらったことがあって、自分がいかに「叶え組」であるかを痛感した記憶がある。


「叶え組」になりきれない自分

一方で、叶え組になりきれない自分もいる。

叶え組を追求し続けると、「”叶え組”を極めた夢組」になれる人もいると思う。例えば、コーチやコンサルタントといった職業。

彼らは、人の夢を形にするのが仕事だし、そこに大きな喜びを見出しているのだと思う。

だけど、自分は「”叶え組”を極めた夢組」にはなりきれなかった。

サポート能力が高いと謳われ、「縁の下の力持ち」として高く評価される。「夢組」の人の叶えたいことを形にしたときに、その喜ぶ顔を見て嬉しく思う。

だけど、どこかに小さな違和感が残ってしまうことも多い。

「一緒にやるのは、自分でなくてもよいのではないか?」
「これが本当にやりたかったことなのか?」
「縁の下の力持ちではなく、自分だって目立ちたい!」

そんな気持ちが、陰から顔を覗かせる。そして、その違和感は時が経つと共に次第に膨れ上がり、苛まれることになる。


「叶え組」から「夢組」へ

では、違和感の正体は何なのだろう?

「自己顕示欲が湧いてきたから」と言われれば、なるほど、確かにそれも一つあるだろうと思う。だけど、根本的にはそれもきっと違うだろう。

そして、「叶え組」の役割を担っていく内に、ぶち当たる違和感の正体が少しずつ見えてきた様に思う。それは、「夢組」がどちちの方向に向かうか分からないということだ。

「夢組」の人の喜ぶ顔を見るのは嬉しい。だけど、形になったものが、必ずしも自分の本当に作りたかったものと一致するとは限らない。

「叶え組」の自分にも、描きたい世界観はあるのだ。

だからこそ、「叶え組」にとって、「夢組」のパートナー選びは重要なことだし、すぐに好きな人のチカラになりたがる自分は、パートナー選びは慎重になるべきだと思うようになった。

では、自分にとって最良なパートナーを見つけ、選ぶにはどうすればいいのだろうか?

それは、自分自身も「夢組」へと傾くことだと思う。もっと言うと、自分の描きたい世界観を描き、発信し、「夢組」の道を歩むこと。

「夢組」と「叶え組」の話には続きがあって、どうやら「叶え組」から「夢組」へと移り変わることもあるようだ。

目の前のことに向き合って仕事をちゃんとやると「できること」が増えていく。そして積み重ねた「何をしたら喜ばれるか」と「できること」を組み合わせたときに、はじめて自分の居場所が見えて「ここにいたい」「これがやりたい」と思ったりする。
ずっと「叶え組」だったけど、気がついたら今は「夢組」になっている、という友人たちはみんなこの流れだ。

参照:やりたいことがない「叶え組」にしかできないこと


「夢組」を歩む過程で、自分にとっての最良となるパートナーが誰なのかがきっと見えてくるし、自ずと引き寄せられ、出逢うことになるだろう。

そして出逢ったパートナー、ひいてはチームの中で、再び自分が「叶え組」としての役割を全うすればいい。

それが、自分の中の「夢組」と「叶え組」のバランスを扱うということの一つの答えだ。まるでシーソーがどちらかに傾いては戻るかのように。


「夢組」と「叶え組」のシーソーバランス

「夢組」だけに、シーソーが傾いてはいけない。
「叶え組」だけにも、シーソーが傾いてもいけない。

どちらか一方に傾きすぎると、きっと虚しさや違和感が残ってしまう。

「夢組」と「叶え組」を行きつ戻りつ。そのシーソーバランスの均衡を保ちながら歩むこと。それが自分にとって、最も心地よい状態なのだ。

これまでの2年半、自分は「叶え組」として歩んできた。

これからは、少しずつ「夢組」へとシーソーを傾けていこう。

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