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発達障害の所見が下り、ついでにうつになったので、お手紙を書こうと思います。~前略、街の底より~

職場で衝突してうつになった。

 今の私を一言で自己紹介するならば、この一文に尽きる。

 まるで志賀直哉の『城の崎にて』の冒頭、【山手線の電車にはねられて怪我をした】みたいな書き出しで恐縮ではあるが、勤め人である以上は守秘義務というものがついて回っているので何があったのかを事細かに記すことはできず、きわめて抽象的な書き出しとなってしまうことはなにとぞご容赦いただきたい。

 ともあれこのたび、私は駆け込んだ心療内科にて「抑うつ症状」の所見を頂戴してしまったのだ。

 この数か月、私はやたらと仕事でミスを犯すようになってしまっていた。端的にいうと、ちょっと確認をすれば、連絡なり共有なりをすれば回避できるようなことが急にできなくなってしまったのである。

 生来、物事への興味がコロコロ移り変わる方で、もともと注意力のなさや管理能力のずさんさは指摘されることはあった。なんなら、企画力やその実行力は目を見張るものがあるが、管理能力は解雇レベルと会社に入りたての頃に当時の上司から言われたこともある。

 とはいえ社会人となってこのかたおよそ15年間、色々と試行錯誤をしながらナントカカントカやってはこれていたのだが、ここに来て一気に何かが崩れたかのように色々なことが上手くいかなくなってしまったのである。

 思い当たるきっかけとしては、この半年前に、役職が一つ上がるという出来事があったのだが、それ以降はとみにコミュニケーションの不器用さや至らなさを頻繁に指摘されるようにもなった。曰く、会話がキャッチボールになっていない、相手の気持ちをあまりにも推し量れていない、など。役職が上がればその分、評価もシビアになるという極めて当たり前のことではある。

 これを受けて、私は「今までのやり方ではいけない」と思い立ち、これまで自分のできるペースややり方にこだわっていたところを、相手ベースで組み立てていくという取り組みに挑んでいたのだが、おそらくこれが引き金になったのだろう。

 果たして私の思惑とは裏腹に、日々の仕事はさらに上手く立ち行かなくなり、次第に周囲との日常的なコミュニケーションも満足に取ることができなってしまった。それをうけて、何とかせねばとは思うものの、具体的に
どのようにすればよいのか、なぜか思考が回らない。ゆえに状況の改善に至らず、自身を取り巻く目線は更なる厳しさを増してはまた考えがまとまらなくなり、そんな悪循環に陥っていよいよこれは困ったことになったと、この2月になって心療内科受診と相成ったのである。

 受診当初は、直近の自分の行動が「注意力欠如」「社会性欠如」「記憶ができない」「順序立てて物事を進められない」などどこかで聞きかじったことのある、いわゆるADHDの代表的症状をことごとく示していたことから、これを疑っての検査を受けたのだが――結果から言うと、DSM5によるテスト、ハロウェルとレイティのADHDテストいずれでも基準を大きく上回るスコアをたたき出し、大人の発達障害である可能性が高いという所見をいただいた。これについてはまた別の機会に詳しく書きたいと思う。――

 同時に問診の受け答えから「抑うつ」状態が疑われるという医師の所見に基づき、抑うつ状態を客観的に把握するための「CES-D検査」なるものを受検したところ、こちらでも診断基準を倍以上上回るスコアを記録したため、治療の必要ありとの所見を頂戴した次第である。

 さて、いざ具体的な病名をもって所見を下されると、これが不思議なもので、あれもこれも、ぜんぶこの病気のせいかしらん?などと思われてくるのであるが、自分の場合は、抑うつ状態の症状のなかでも「思考の制止」という状態が顕著に表れているとの事だった。

 思い返してみると確かに、ここ最近何かを考えてアウトプットするということにとりわけ難儀するようになっており、それが前述の職場での衝突につながっていくわけなのだけれども、心療内科に駆け込むころには、日々のヨシナシゴトをこなすにもいちいちエイヤッとやらねば満足に動けず、という状態になっており、それに疲れてしまってもいたのを見事に初診で見抜かれたのであろう。とにかく、私は「何かを考えることができない」状態に知らず知らず陥って、そのことに疲れ切ってしまっていたのだ。

彼は何事を考えても頭が痛むのだ。

大正期から戦前にかけて活躍した文豪、横光利一の掌編『街の底』の一節である。全文「青空文庫」にて購読可能なので、ぜひご一読されたい(およそ15分程度で読了可能)。

 大学時代の授業での購読以来およそ二十年弱、特に再読の機会もなかったのだがいま自分が置かれている状況をこれほど明瞭に指し示すフレーズもないと、ふと思い起こされたのがこの一節だ。いま私は、まさに〈街の底〉をさまよっている。

 『街の底』の主人公である〈彼〉は、「働くことが出来なかった。働くに適した思考力は彼の頭脳を痛めるのだ。それ故彼は食うことが出来なかった。(以下、本文は青空文庫より引用)」ゆえに、日々街の裏にある丘の真ん中に座り込んでは無為の時を過ごし、「ただ無為の貴さを日毎の此の丘の上で習わねばならなかった。」のである。そして、夜になって家に戻った〈彼〉は、「うすぼんやりと自殺の光景を考えるのだ。」

 そんな〈彼〉も、雑誌を売って十銭ほどの日銭を稼げば生きていける、ということを知っていた――その十銭は、3冊ほどを売れば手に入るということも知っていた。少なくとも、知能的な部分での実生活上の障壁はなかったらしい――。夜になって街へ出た〈彼〉は、屋台の軒先に積み上がった銅貨の山を目にして、この〈釘〉が引き抜かれて、街がバラバラに砕け散る様妄想し、満足してまた人ごみの中に這い入るのだが、そこに見えた「鈍った鉛の切断面のようにきらりと一瞬生活の悲しさ」に名状しがたい笑みをにやりと浮かべるほかになかった。

 ある日〈彼〉は、雑誌を3冊売って得た日銭の十銭を、「連れ合いにも息子にも先立たれ、このタワシを買ってもらわねば自分は生きていかれない」と言う老婆に握らせ――よくよく考えれば、この老婆の言うことは本当の事ではないように思われ、思考の制止した〈彼〉はただただ騙されているように見えなくもない――、いつものように街の外れの青い丘に赴くのだが、生活の事を考えようにも頭が痛んで、それでも街の時間はそんな〈彼〉のことなどお構いなしに滔々と流れていくのだった。

 以上が「街の底」の梗概である。

 この〈彼〉の有様は、「街の底」研究における最重要論文ともいうべき
「横光利一「街の底」論――新感覚は文学の内実と意味――」
 (田口律男(1984). 近代文学試論 22 13-25)
では「時代の強いる見えない圧迫」(田口,1984)と論じられたが、その有り様といわゆる「抑うつ」の典型的症状とされるエピソードとが実によく重なるのである。

 まず何より「うすぼんやりと自殺の光景を考える」というのは、おそらく「抑うつ」の諸症状の中でも一番よく知られている〈希死念慮〉そのものにほかならず、また作中において彼は、夜の屋台の軒先にうずたかく積まれた銅貨の山を、パッチワークのごとく繋がれた街の光景を繋ぎ止める釘に見立て「そうだ。その釘を引き抜いて!」と妄想するが、それも希死念慮同様に「抑うつ」の症状としてよく知られる〈破壊衝動〉の典型的エピソードとして見て取ることができる。似たような描写としては、梶井基次郎の『檸檬』で、主人公の【私】が、檸檬を爆弾に見立てて、丸善の書棚に置いていくクライマックスがつとに有名であるが、この作品もまた『街の底』とほぼ同時代に書かれたものである。

 そして何よりも『街の底』の中で印象的な表現といえば、街区の様子を「むしろ作為が目立」つ(田口,1984)擬人的・比喩的表現の羅列で描いた点にあり、この一連の描写が、結果として情緒的なフィルターが取り除かれたような不連続なイメージとして切り出されている。これもまた、思考の制止した状態の目に映る世界のありようそのものであり、これがまさに今自らが「抑うつ」の状態の中で目に映る世界のそのものだと気が付いたのだった。

 また老婆とのエピソードは、これも見方によっては思考の制止に漬け込む悪意がそこかしこに存在していることの告発のようにも見て取ることができる。もしかしたらこれを読んでいる方の中にも都心のターミナル駅で老婆から「家に帰る電車賃を貸してくれ」とせがまれ、ならば交番に行くように促すと舌打ちをして足早に去っていったという経験をお持ちの方がおられるのではないだろうか――ちなみに、私は何度かある――。まさにあれであろう。

 折しもこれらの作品が世に出たのは、関東大震災という未曽有の大災害により、物資面と共に人々の精神面に大きな傷痕が刻まれた直後で、そのストレスによる思考の制止≒今風にいえば「抑うつ状態」に陥った人々が頻出していたであろうことが容易に想像できるのだが、奇しくも現在のこの国の社会も、東日本大震災という大災害の傷跡が9年経ってもなお癒えぬまま、新型コロナウイルス禍によりさらに社会不安の増大する局面にある。関東大震災と東日本大震災ではおよそ100年の時を隔てた出来事だが、そこに通底する病理のようなものの存在に気付かされる。だからこそ、私は「街の底」はいまこの時代に改めて読まれるべき作品であると思うのである。

 加えて、こうした不安のなかで、街≒世界のかたちは不連続で断片的、かつ、矛盾を大いにはらんだものでありながらなにがしかの釘のようなものでパッチワーク状に繋ぎ止められており、その釘とはいわば「経済・カネ」であると看破した横光の慧眼には、今更ながらにただただ感服するほかはない。

 しかしながら横光は作中で、〈彼〉が何事も考えることのできない症状を抱えながらそれに至るまでの具体的ないきさつを描写することはなかった。もしかしたら、敢えてしなかったのか。それとも「できない」何かに直面をしたのか。いずれかは定かではないが、わずか原稿用紙15~6枚程度の掌編ながら時系列の整った文体の中から推しはかることは可能であり、また、詳細な描写が省かれているがゆえに、受け手の個々の状況を当てはめつつ、それぞれの状況に一筋の光を射すに至る可能性を内包しているということもできる。その点において、「街の底」は今の時代に照らし合わせて読みを深めることの作品だということも十分に可能なのである。文学とは、独立した世界観を持ったものであるが、同時に読み手に取って寛容なものでもある。これは大学時代の恩師の受け売りであるが、まさにその通りだと思う。それゆえに、文学には読み手にとってはある種の東洋医学的な意味合いでの〈薬〉のような作用があるのではないかと私は考える。東洋医学的と言ったのは、明確な効能を示すことができない曖昧さを含んでいるからこそ、世間一般に通ずるある種の「型」に収まることのできない人間――「抑うつ」や発達障害などまさにその好例だと思う――にはなにがしかの救いになる可能性もはらんでおり、そこに文学の存在意義、有用性があると考えるからだ。

 もしもあなたが今、このような閉塞感や思考の制止に思い悩む、いわば私のような症状下にある「同志」であったとしたら、私が言いたいのは、

何のことはない、人間同じことでもう100年以上も
ぐるぐるとしているのだから、その事を知って、
気長にやっていこう。

ということに尽きる。

 いま、少なくとも私は間違いなく「街の底」にいて、そこからの景色が目に映っている。そして、何事を考えるにもひどく頭を痛めながらの日々を過ごしている。5000字にも満たない本稿を書きあげるのにも実に三日もかかってしまった。さらに、一度記事を公開した後に種々のてにをはの誤りや用語の誤用、文章のつながらないところを次々に見つけてはそのたびに修正・改定を繰り返している有様だ。

 折角である。これからしばらく〈街の底からの手紙〉を思うがままに
したためていこうと思う。


<参考文献>
・横光利一 街の底(青空文庫)
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/4876_15962.html
・横光利一「街の底」論 : 新感覚派文学の内実と意味
 http://doi.org/10.15027/15773


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