見出し画像

【考え方・生活】自分の好きなものは変わらなくても捉え方を変えればいいのね、と気付いた話

メンタル疾患を治す方法を
本やネットで模索する中、
「自分の本当の好きなもの]を見つめ直す機会は
ちょくちょくあった。

大きなきっかけとなった
クラウス・ベルンハルト著
『敏感過ぎるあなたへ』の中では、
「テンセンス法」というやり方で
自分が理想とする状況や生活を
強く心に思い描く。
これは脳科学的に、
自分が気持ち良いと思う状況を
五感を使って体験したかのように記憶させ
身体にポジティブな回路を作るやり方だ。
(※私訳)

また別では、特にメンタル疾患関係なく
友達にすすめられて読んだ本
村松大輔著
『パラレルワールドの法則』。
これは量子力学的に、
人の意図はエネルギー量であり
それが強い程現象化する、というもの。
思いを強く願えばそれは実現すると。
(※めちゃくちゃ端折った私訳)

「自分の好きなもの」をいまいちど気に留めてみる

実際は脳科学とか量子力学とか
そんな流れじゃなくても
自己実現などの類からでも
よく目にする話題のわけで。
自分の好きなものを知る事、意識する事、
はきっと有益。
『死ぬまでにやりたい100のこと』
『ワクワクリストを作ろう』
なんかも同様で、
私も過去
真面目にノートに書きだしたこともある。

元気になってきたここ最近、
明らかに変わってきた最近、
別に意気込んでではなく
「あぁ私はこういうのが好きだなぁ」
と思った時のことを書き留めてみた。

(この意気込まずにやる、
という行為も昔の私にはなかった
よい兆候なのだが)

物理的な好きなものと、「楽しいな」と思う気持ちのよいもの

改めて書き留めたけれど、
結局自分の好きなものはそんなに変わっていないんだな
と思った。

物理的な、直接的な「好きな事」としては
マッサージ・カラオケ・温泉、
が大好き。
それをやればとても楽しくて
いつだって行きたい。
永遠にそこにいたい。
スーパー銭湯に行けば事足る幸せ笑。

行為そのものというより、
楽しい・好きだなの気持ちになる時は、
・家中の窓を全部開けた時
(風が通って気持ち良い)
・閉店前のスーパーに行く時
(値下げ品が買えるかもしれないワクワク)
・タスクを作っている時
(前倒ししながらこなしていくぞと意気込む)
・隅から順番に整理整頓したり掃除したりし始めた時
(少しも見逃さずローラー作戦で完璧に整えていくことにワクワク)

この気持ち面の方は
今回初めて言葉にして認識した感じで
新鮮だった。

これらが自分は好きだろうことは
なんとなく知っていたけれど
ちゃんと目を向けていなかったというか。
カラオケやマッサージがわかりやすい反面、
「自分の好きなこと」として意識していなかった。

最近「楽しいと思えることをしよう」
と考えられるようになってやっと、
「あら私、家中の窓を開けようと思った時、
なんだか楽しい気持ちになってるんだわ」
と知った。
この小さな「嬉しい・楽しい」を
意識できたのだ。

これもまた以前書いた
同じ言葉でも時や状況が違えば受け止め方が違う、
の話に通ずるものがある。
「小さな幸せをみつけよう」
って、散々色んな歌で歌われていたじゃない。
色んなコラムの題名になっていたじゃない笑。
自分の場合、
歳を重ねたからか体調を崩したからか
今になってようやく、
自分の言葉で理解できた。

「楽しいな」の気持ちをないがしろにしていた

今まではどちらかというとその先の
出来なかったこと、に気が向いてしまい
その記憶ばかり残ってしまいがちだった。
自分に厳しいというのか
真面目というのか…。

・窓を開けたら
「出かける前に全部鍵を閉めて確認しなきゃ」
という焦燥感を持ち
・値下げ品を買えたとしても
「安いからって買いすぎちゃった」
「本当は要らなかったのかも」
と暗い気持ちになり
・タスクを作っては、部屋の片付けを一から始めては
「タスクをこなせなかった」
「途中で辞めてしまった」
と自分を責める。

…なんか本当、
自分に厳しいというのか真面目というのか笑
楽しくない生き方してたんだなぁと思う。

とりかかった時は
間違いなく楽しかったはずなのに、
出来なかった自分に対して
嫌な気持ちになってしまう。
今思えばちょっと驚くくらい、
本当にすごくすごく嫌な気持ちになってたんだ。
そしてそれが日々、毎日。

「好きななことができて楽しい」で満足する

今、思うことは
自分の楽しい気持ちに目を向ける、
と同時に
自分の能力の限界を受け入れること。
そしてそれを責めないこと。

自分がそれ程できる人間だとでも思っていたのだろうか、
そんなつもりはないけれど
でもちょっとはそうだったのかもしれない。
昔から
「望むことならば自分の力で成し遂げろ」
「それができないのは自分のせいだ」
の考え方は強かった。
楽しい気持ちや好きな気持ちは
「そう思うならきちんとやりこなす」
ことが重要になってしまっていた。

今やっと、いい加減、
自分への期待が能力相応になったというか。
それで自分を卑下してる訳ではなく
気楽に考えられるようになったというか。
「いつも最後までできないんだから
今回もまぁ多分そうなるでしょう」と。

完璧にやりこなす気持ち良さは
きっとまた別の段階のことで、
とりあえず、
「楽しいと思えることをやった」
そこで満足できる。

完璧にやりこなす自分も好きだけれど
思った以上に追いつけないのがきっと現実だ。
きちんとした生活・
健康的に・食事を作って・家を整えて
しっかり子育て・正しい子育て・向き合って
できたら余裕のある金銭・見通せる将来・
小綺麗にしていたい・みんな平和に・
ちゃんとしていたい…。
それらが全部できるわけなんてないのだから。

好きな事がやるべき事になってしまう

どれもこれもなんでも
楽しいと思うならやればいい。
でも途中から、「やるべきこと」に
変わってしまっていないか。
やるべきことをやりきれたらそれも気持ちよいのだけれど
そんなとこまで求めたら
それに真面目に向き合ったら
こうやってメンタルを崩すのだ。
自己嫌悪する必要はない。

部屋の片付けも洋裁も子供に向き合う、も
どちらかというと好きな事なんだ。
でもその時の気持ちで「やるべきこと」に
傾いてしまっているのなら
それが億劫に感じるのなら
やらなくていい。

そもそも絶対にやらなきゃいけないことなんて
本当はめちゃくちゃちょっとなんだし。
そんなことに囚われて
毎日イライラして、すごくバカみたいだ。
バカみたいと思える、
ところまでは今までもできていたけど、
今は、そこからもう一歩、
やっと、吹っ切れた。

また「やりたい」と思った時にやればいい。
それよりも今やりたいと思う、
子供を公園に連れて行ってあげたい
借りてきた本を読みたい
一生懸命話しかけてくる子供の目をじーっとみて
「可愛いねぇ」とよしよししてあげたい、
それをまず今すぐやればいい。

小さな幸せを意識する

そうやって好きなものを
自覚して、その機会を増やして、その都度味わって、
そうしたらとても些細なレベルで
もっと生活は楽しく、
幸せな気持ちになるのではなかろうか。

小さな幸せをきちんと意識する。
まだ完璧にできるわけじゃないけれど
その道筋ができかけていると感じる今日この頃。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?