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風景の絵は見ていると心なごむけど。(after展覧会No.10)

はじめに

現在、島根県立美術館で開催中の「ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ」に行ってきました。

開催期間:2020年9月12日(土)~11月3日(火祝)

風景画の移り変わりが、時系列で作品が並んでいるので、写実性の高い絵から少しずつ印象派的な画風があらわれてくる流れがつかめる展示でした。

クールベから風景画のことを考えてみた。

本展の目玉のひとつはカミーユ・コローの作品が16点も見られることですが、今日は好きなギュスターヴ・クールベのことを書きます。
今回は1作品のみの展示です。
レマン湖の岸辺(急流)》1875年頃
(なお、2階で開催されている島根県立美術館所蔵のコレクション展でもうひと作品見ることができました。《》1869年)

原田マハさんの著書「いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画」で、クールベの《オルナンの埋葬》が紹介されています。


本展で展示されていた作品は、《レマン湖の岸辺(急流)》です。クールベは1877年に58歳で亡くなっていますが、この作品は1875年頃の晩年に描かれた作品です。
クールベの生きた時代、日本は江戸時代末期、幕末から明治への動乱期、実はフランスも穏やかな時代ではありませんでした。
1789年~99年:フランス革命
1830年:七月革命
1848年:二月革命
1870年~71年:普仏戦争
この普仏戦争の後、労働者層が蜂起して革命政府パリ・コミューンを樹立する反乱が起こります。まもなく鎮圧されてしまいますが、クールベはこの反乱に参加し逮捕されてしまいます。その後、釈放されますがスイスに亡命し、その地で亡くなります。
この《レマン湖の岸辺(急流)》は、そのスイスで描かれた絵です。クールベの人生を追いかけると、フランスの歴史(画壇・アカデミーとの関わりだけでなく、政治社会的な側面も含めて)と切っても切れないことが分かります。
今では風景画はジャンルとしてとても人気がありますが、当時は歴史画や宗教画の下に位置する分野でした。
クールベは24歳のときに、はじめて官展(サロン)に入選します。順風満帆な画家人生を思い描いていたでしょうが、段々と絵画への取り組み方が変わっていきます。前述の「いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画」(著:原田マハ/集英社新書)より、クールベの心の葛藤がわかる部分を引用させてください。

クールベは徐々にその本質を作品に表し始める。彼は、アカデミーの画家たちが当然のように描いていた画題ー壮大な歴史画や神々が登場する神話画、均整の取れた風景画、富裕層が悠然と微笑む理想化された肖像画に対して疑問を抱くようになる。なぜどの絵も似たようものばかりなのだろう?なぜどの画家も「絵空事」ばかり描くのだろう?自分は天使を描かない。なぜなら天使を見たことがないからだ。クールベはそう言い放って、美しい女神や見たこともない古代ローマの風景などではなく、実際に自分が目にしたもの、「現実」そのものを画題として取り上げようと決心したのだった。
(p230~231)


クールベは写実主義の代表選手として、現在では印象派の画家たちにも多大な影響を与えた人物として歴史に名前を刻んでいますが、綺麗だから、美しいから、という理由だけではなく、もっと強い覚悟と信念をもってクールベは写実性の高い風景画の数々を描いていたことがわかると、なかなか心穏やかにその絵を見ていられなくなってきます。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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