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保存版:好きを仕事に!令和時代の生き方・働き方ーウェルビーイングありのままの自分で生きる方法とは〜地域プロデューサー・齋藤潤一インタビュー

国際機関OECDが研究を進めるほど世界的なトピックとなっている「ウェルビーイング(主観的幸福)」。世界中が幸福でありたいとの思いを強くする中、新元号「令和」の時代が幕を開けた。

国連が発表した2019年の幸福度ランキングが過去最低位となっている日本。地域プロデューサーとして、全国各地で起業家育成に従事。各種メディアで多数紹介される「ウェルビーイングな町」の実現にチャレンジしている齋藤潤一氏に話を聞いた。

シリコンバレーで外国人として生きる

シリコンバレーのスティーブ・ジョブズのガラージにて齋藤氏

ウェルビーイングやダイバーシティといった価値観は海外諸国が先進である。日本の大学をやめてアメリカに渡り、そのカルチャーを吸収してきた齋藤氏に、まずは当時の話を聞いてみた。

「関西の大学に進学しましたが、大学の仕組みに感じる疑問は少しずつ大きくなっていきました。そもそも入学自体が目的化していて、入ってしまえば単位を取るのは比較的容易。順調にいけば大企業への就職が待っている。でも本当にこれでいいんだろうかと」

自分の人生に投資する

家族との約束で学費は自ら稼ぐことになっていたという齋藤氏。アルバイトで稼いだお金を学費に充てることに、次第に違和感を覚えるようになったそう。「これは費用対効果が高くないんじゃないかと。入学して2年が経っていましたが、同じお金をかけるなら、海外で学んで仕事もしたほうが自己投資になるんじゃないかって思ったんです」。

岐路に立っていた齋藤氏は、大学を2年で中退。カリフォルニア州サンフランシスコのシリコンバレーへと飛び出すことになる。今では日経新聞記者から「シリコンバレー流の地域づくり」などと評されていて、齋藤氏を語る上で外せないキーワードになっているシリコンバレーだが、実は当初から決めていたものではなかったらしい。

「偶然でした。コーディネーターさんが紹介してくれたのがたまたまシリコンバレーだった、というのがすべてです。大学在学中にロサンゼルスに留学した際、環境や文化がフィットしていたのもよかったですね。バックパッカーで訪れたことのあるフランスは合いませんでした」

寛容で厳しい町 シリコンバレー

シリコンバレー発祥の地といわれる場所

シリコンバレーの何がよくてフィットしたのか、という問いに、齋藤氏はこう答えた。

「オープンでフラットであること。ダイバーシティがカルチャーになっていること。今住んでいる宮崎にも通じるところがありますが、ひとことでいうと、寛容な町でした。もちろん、そのうえで厳しいところでもありましたよ。寛容でお互いを認めているぶん、本当にプロフェッショナルである人しか認められない。にせものはバレるんです」

シリコンバレーでは(当然ながら)外国人として生きていた齋藤氏。寛容な町とはいえ、ある種の孤独さも感じながら、自らを律し、実行していかなければならない厳しさの中に身を置いてきた。「シリコンバレーで働いた後、帰国して起業し、NPOを立ち上げたりする中で、すべては自分でやらないといけないと自分を追い込んで考え続けてきました。それが変わったのは、2年前にこゆ財団がスタートしてからです」

苦しみぬいたあげく、手放す

2017年4月に新富町が設立したこゆ財団(一般財団法人こゆ地域づくり推進機構)は、地域の特産品で稼ぎ、町に再投資するモデルで持続可能な地域づくりにチャレンジしている。齋藤氏はその代表理事として活動を牽引。こゆ財団は2年間で1万人以上の関係人口を創出、ふるさと納税寄付額を約4億円から約20億円に伸ばすなど成果を出し、2018年11月には内閣官房「まち・ひと・しごと創生本部」より地方創生優良事例に選出された。

ここまで書けば、シリコンバレーで培われた「自分でやらないといけない」というマインドがチームを強力に牽引して成果を生み出してきた、と理解するのはとてもスムーズである。ところが、齋藤氏はこゆ財団がきっかけで、この考え方に変化が生まれたという。そのきっかけとは?

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