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終わりなき旅の仲間が旅立つ

【備忘録として】


未明に、悲報が届いた。
早朝に行くことにした。


6時前に起き、夜が明けきらぬ中、自宅を出る。
盛岡駅でコーヒーを買い、朝一番のバスに乗る。
目的地までは約80分の旅だ。

朝日で赤く照らされた岩手山が、ぼくを目的地に誘っている。

道中、自然と、その方との10年間を振り返る。
いろいろありすぎて、これといった、特定のことを思い出したわけではないが、涙があふれかえる。

目的気近くのバス停に着き降りる。
まだ誰も歩いていないのだろうか、足跡がない歩道だ。
道はあるが、誰も歩み入れていない道だ。

目的地に付き、部屋に入る。
家族が出迎えてくれた。

そして、もはや言葉を発することがない、その方が静かに横たわっていた。
臨終を確認し、家族に時間を告げる。
謝罪と感謝とともに。

ただ、その後は、いつものような饒舌な語りにはならない。
なぜなら、この方とともに歩んだ旅は波乱万丈で、言語化した瞬間に、一気に陳腐化する懸念があったから、言葉を選べず、躊躇したから。

十年前、盛岡に戻り、長村さんとともに始めた最善を届ける旅に、まもなくこの方が仲間入りした。
五年前、独立した後、二人だけ他から引き抜いたのだが、そのうちの一人が、この方である。
十年、とりわけ後半の五年は、とにもかくにも苦楽をともにした。
千人寄ってきては、九九九名が離れていくような、強烈な医者のぼくだが、この方は一貫して、ぼくを支持し、最高に理解を示してくれた。

人間は絶対に一人で生きていいけない。
どれほど強がったところで、「それ、いいね」と、わずか一人であっても理解を示してくれる人がいないと、前進できないものだ。
ぼくの前進には、いつも、この方の理解と後押しがあったし、存在そのものが常に勇気の源泉となっていた。

この方無き世界で、ぼくは、どう前進して行ったらいいだろうか。
人間とは、すべての人がかけがえのない存在で、決して代替えがきかない。
であるならば、これまでと同じことができるわけがないだろう。

つまり、答えはひとつ。
この方と歩んだ旅と同じものを続けることができない、だから、あらたな旅を始めるほかない。
物語は出来事とともにではなく、登場人物とともにある。
登場人物が変われば、あるいは去れば、脚本が変わるのは当然だ。
しかし、物語の根底に流れる筋書きは変わらない。
最善を求める終わりなき旅(物語)というあり方は変わらないが、方法は変わってゆく。
こうして、物語が深化してゆく(のだろう)。


帰りのバスの道中、向かう道中とは真逆で、一滴の涙も溢れなかった。
冷たいと言われたらそのとおりだが、ぼくの目は次に向かっていった。
悲しみとともに次に向かう。
それが、最大の理解者への唯一の報いと思ったから。

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