ぼへ

「ボヘミアン・ラプソディ」 -境界を超える力-

話題になってるボヘミアン・ラプソディを見ました。Queenを全く知らなくても楽しめると思います。曲しか知らなかったぼくも楽しめました。てかめっちゃおもしろいので見て。

フレディが俺たちの音楽は境界を超えるみたいなことを言っていて、それがすごく刺さったのでそのことについて書きます。

● 演者と観客に引かれる境界
ここでいう境界とは、演者と観客、発信するものとそれを受け取るものに引かれる線を差します。フレディは「俺はパフォーマーだ。観客の求めることをやる」「詩はリスナーのものだ」「すべての人達が、ああこれは自分たちの音楽だと思えるものを作る」というようなことを言っていて、境界の向こう側をとても意識しているようでした。

● こころに届く
これは自分たちの音楽だと思った経験が、ぼくにもあったような気がしています。確かにそのとき、つくり手と聞き手の境界はなくなり、こころの奥まで音楽が入り込んできた感覚がありました。これは音楽に限らず、小説を読んでこれは自分たちの物語だと思えるような体験だってあります。そういう境界を超える力をもった作品こそが、真にこころに届くのだと思います。

● 境界を超える力
思えばいつだって大きなことをやってのけるのは境界を超える人のような気がしています。なにか と なにか の橋渡しをできる人がこころを動かす力をもっているように思います。Queenは時間の境界をも超えて、ぼくたちよりはるか先の世代にも愛されるのだろうと思います。

境界を超える力はどこからやってくるのか。答えはわかりませんが、それを欲しがって生きていこうと思いました。

サントラいいぞ!


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