ただの無関心が多様性を重んじてる顔をしているので一発いいですか
Aさん「おれうどん派なんだよねえ」
Bさん「え,わたしそば派なんだけど」
Aさん「ま,人それぞれだからね」
という会話を耳にするし,わたしもされた経験があります。
もしAさんとBさんがカップルだとして,ずっとこの調子なら,もう別れろやって思います。
人それぞれだからお前には興味がない
いきなりどうしたんだいって感じですが,ずいぶんと前から「人それぞれだから」で会話を終わらせる人に怒っています。
そしてこういう人は案外,自分のことを多様性を認める広い心をもった人間と認識しているのでたちが悪いです。
「人それぞれだから」のあとに続くのは,「人それぞれだから好みが違うのは当たり前だよね」って感じになると思うんですが,こんなにも早く会話を終了させられると,わたしにはもう「人それぞれだからお前には興味がねえ」と言われているように感じられます。
興味がないならそれでいいんですが,じゃあなんで会話してるんだよって思いますし,そんな会話をしていて楽しいのかと問いただしたい気持ちでいっぱいです。
雑談に求めるもの
1. 共感の快楽
2. 発見の快楽
他愛のない雑談に私たちは共感と発見の2つを求めていると思っています。
自分の考えと同じ人を見つけて安心したときに生じる共感の快楽と,新しい視点や意見を知って知的好奇心が刺激されたときに生じる発見の快楽です。
SNS が発展し自分の好きなものだけを見て生きていける世界になってから,日常的な会話に共感の快楽しか求めない人が増えてきているような気がします。
新しい考え方や情報を得てわくわくしたり,不思議だなって思ったり,自分の考えをアップデートしたりすることに興味がなくなっているのかもしれないなと。
断っておくのですが,共感の快楽しか求めないことを否定したいわけでないです。上に書いているように,無関心と多様性を受け入れることを履き違えている人に怒っているだけです。
まあ発見の快楽を求めない人と会話しても特に面白くはありませんが。
会話の面白さ
Aさん「え...そばはうどんの喉ごしに勝てないよ」
Bさん「そうかもしれないけど,うどんにはそばの風味がないじゃん」
Aさん「風味を重んじる派かあ。茹でたてのうどんから漂う上品な小麦の風味もたまらないんだけどな」
Bさん「じゃあ今度おいしいうどん屋さん連れて行ってよ」
これくらい,これくらいやってくれ......。
たとえ話がうどんとそばだからあまり伝わらないかもしれないけど,相手の話を聞いているうちに,そっちもいいかもなーって思い始めて,新しい一歩を踏み出せるのが会話のいいところだと思う。
誰かの好みを聞いて,どうしてそれを好きなのか知りたいと,素直に思える心が多様性を受け入れるってことなんじゃないかなって思います。
周りで楽しい会話をしてる人が増えると嬉しいです。
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