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反知性主義と「ポエム化」の蔓延

(2014年6月7日 キリスト新聞「望楼」に加筆)

 歴史学者のリチャード・ホフスタッターによれば、アメリカ文化に根づく「反知性主義」は、初期のピューリタニズム、特に福音主義が学説や教説ではなく直観や霊感を擁護し、学問としての宗教や聖職者制度を否定したことにその淵源の一つがあるという。

 同志社大学で神学を学んだ佐藤優氏は、昨今の反知性主義的傾向を「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義づけた上で、政治的な問題発言の背景について「異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな『決断』を重視する姿勢がそこにある」と見る(2014年2月19日「朝日新聞」)。

 「知的」なるものを嫌悪し、アカデミズムを否定する反知性主義と、歴史修正主義やポピュリズムの台頭は不可分ではない。そしてその風潮は、宗教界においても例外なく見ることができる。信仰においては論理や理性よりも感覚や情緒が重んじられるため、それらとの親和性は限りなく高い。

 かつて、一見科学的に見える言葉やもっともらしい実験で、科学的なように見せかけた「ニセ科学」が一世を風靡した。いわゆる「トンデモ本」を批判的に楽しむ「と学会」会長の山本弘氏は、『ニセ科学を10倍楽しむ本』(楽工社)の中で、「水からの伝言」、「ゲーム脳」、「脳トレ」、「血液型性格判断」、「ホメオパシー」などと共に、進化論が科学的根拠を有しないと主張するキリスト教の立場「創造科学」も取り上げた。

 同氏は、神道の信者が「イザナギとイザナミが矛で海をかきまぜて島を作ったなんて話を、事実だと思ってるわけじゃない」とし、進化論と信仰は両立し得ること、科学者の中にもキリスト者が多いことを紹介している。

 言わずもがな、キリスト教は科学ではない。しかし、信仰は「科学の否定」や「思考停止による盲信」とは区別されるべきである。聖書の史実性や不可謬性を主張するためだけに、科学や医学など、人類の学問的到達、技術の発展、歴史的教訓をも否定してはいけない。人知の及ばない領域があることは事実だが、現段階で解明できない謎があることが、即神の存在を証明する根拠にはなり得ない。

 NHK「クローズアップ現代」が2014年1月14日放送の回で、震災後に広がりを見せる「シンプルで聞き心地のいい言葉」の多用化を取り上げ、話題となった。コラムニストの小田嶋隆氏は、「ポエム化」の危険性について「目的が抽象的」と警鐘を鳴らす。

 ポエム的な言葉は個人の心情や感情をうまく取り入れているから、共感を呼びやすい。……結果、責任範囲の明確さや意味が損なわれるので、グレーゾーンが大きく、具体的には何も提示されていないのに、納得させられてしまう。

 ここでも、理性ではなく感情に訴える抽象的な言説が、結果的に「ごまかし」として機能している。すでに指摘した通り、私たちは「気休めの福音」と「救いの本質」とを峻別できるよう、細心の注意を払わなければならない。

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