ドラクエⅪの語られてない話  妄想考察6

ドラクエⅪの世界の宗教感はどうなっているのだろうか?

教会は全ての街にある。神父かシスターが基本的にいて、最も重要な役割はセーブである。祈ることで冒険の記録がされる仕組みである。祈るということは主人公達はなんらかを信仰しているという描写に他ならない。

ドラクエシリーズ全般に言える事だが、プレイヤーは冒険の記録をし、翌日もその続きからプレイしたいのでわざわざ教会に向かう。これは製作者側が意図した事である。我々プレイヤーに信仰の自由は無い。モデルは当然キリスト教で、多くの日本人には、馴染みがない。多くの神道文化である日本人にはキリスト教はクリスマスと結婚を司る愛の神だ。そして仏が葬儀の神だろう。真剣に信仰している方から見ればなんて罰当たりな話という感じだろうが、そうだから仕方ない。

しかし、ドラクエをプレイしたことのある多くの日本人は、ドラクエ内ではもう一生分をとうに超えた回数、教会に足を運んだだろう。そして、何かわからないものに祈り、冒険の記録を記録する。

ドラクエで、セーブのシステムができたのは3からである。しかし、その時は冒険の記録は王様が行っていた。教会には基本行かなくてもいいのである。これはあくまでシステム的な問題で、1では王様、2でも基本王様が「復活の呪文」というパスワードの発行権を持っていた名残であると言えばそれまでだが、ここは意味があるとしたい。

教会のシンボルは元々十字架だったが、これは海外展開の際に仕方なく変えられたらしい。そりゃキリスト教からは反発あるわ。今の時代なら、そりゃそうだろって思うけど、当時は分からなくても仕方ないし、多くの日本人にとってはただのシンボルで、なんだったら欧米文化への盲目的な憧れから、カッコいいものとして扱っていたのかもしれない。

ドラクエの元ネタであるウィザードリーでは教会で仲間を生き返らせる事ができたらしい。2以降それがあるとか。

この確認のため、スマホ板ではあるがドラクエを1よりナンバリング順にプレイすることにした。

ただまだ1で、今からメルギドに向かう最中なのだが、、、、レベル13では雑魚戦辛いのだが、、、

ローラ姫は救出してゆうべをおたなのしみした。

ドラクエ1には教会がない。

ただ、ラダトームの城下町には、十字架の墓が街のメイン通りにある。

この辺も考察したいと思う。とりあえずロト三部作を再プレイして、11の考察に戻ろう。

一ヶ月くらいかかりそうだ。

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