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身内で集まる暴力的な時間

好きとか嫌いとかそういう次元じゃなくて、家族や親戚と会うと、私はやっぱりこの人たちの側に居たくないとよく思います。これはネガティブなことでもなんでもなく、ただ自分自身の自己成長には必要がないなという判断なだけでありまして。

そして、今日のnoteは見るのをお勧めしません。理由は、まあ、人間らしすぎる汚い部分を書くので。(書かないという選択肢はない)

見てくださる方はどうぞ楽しんでいってください。



登場人物

まずは、先に登場人物を。

私:まあや
母:まあやの母
いとこ:まあやの従姉妹が二人います。ややこしいのであだ名を決めます。

→帝王:いとこのうちのひとりで、40歳くらいで、小学生の子どもが一人。何故、帝王というあだ名にしたかというと、態度がでかく、メンタルも強く、そして帝王っぽくありながら、ちゃんと四柱推命の命式にも帝王が二個入っているので。

→番人:帝王の妹で31歳くらい。結婚はしていないけど、結婚願望あるみたいな。まさに帝王は姉っぽい姉で、番人は妹っぽい妹。何故、このあだ名にしたかというと、保守的で私や帝王のように、冒険したがらない性格だけど、家事全般きちっとしてるタイプで、家を守ったり、身内の人間を大切にするという人だから。

ゴリラ:帝王の旦那さん。これ、私が名付けたわけじゃなくて、常にみんなからゴリラと呼ばれているので、そのまま採用した。何故ゴリラと呼ばれているかというと、あり得ないくらいご飯を食べるから。身長は大きいけど、細身なのに、よく食べるので、帝王がいつも家で給食を作っている気分だと言っていた。

ゴッホ:帝王とゴリラの子ども。小学生。もう、自我が激つよで、俺が俺が!タイプ。ゴリラと同じくめちゃくちゃ食べる、私の3倍くらい。そして、保育園の頃から絵がめちゃくちゃ上手い。なのでゴッホで。

叔父:私から見た叔父さん。母の兄。帝王と、番人の父。去年他界して、昨日が一周忌で初盆だった。母とは仲が悪く、そのままお別れとなってしまった。

祖父母:祖父と祖母は、同じ年に他界して今は数年が経った。私の母方の祖父母。


8/4

昨日は、叔父の一周忌と初盆のために集まった。

私は、去年くらいからこういう場所へちゃんと顔を出すようになっていて、理由は、ご先祖様を大事にしたり、身内の関わりというものをちゃんと整えようと思ったから。というか整えるとかいえるほどの、人数もいないけれど。

祖父母が生きていた時は、親戚付き合いが地獄だったが、それはやはり昔の大切な文化の一つだったりするのかもしれない。

祖父が10人兄弟の長男なのもあって、それはもう昔から、よくわからない田舎特有の儀式のようなものを見てきた。

この辺の感覚においては、母や叔父は寛容というのか、現代という時代の流れを理解してくれて、祖父母が他界した後にもし、祖父の親戚の誰かが亡くなったら、自分たちは岡山へ行かなければいけないけれど、あんたたちの代からはもう行かなくて大丈夫と言われていた。


そして、叔父の一周忌においても、本来は岡山の親戚を兵庫へ呼ばなければいけないという話も出ていた。

けれど、叔父のお葬式などには呼んだものの、その時の食事の準備やらなんやらで疲れた帝王と番人による話し合いの結果、身内だけですることになった。そうなったはなったで、岡山の親戚全員一人ずつに、その旨を電話でちゃんと伝えなければいけないというしきたりがあり、それは番人が頑張ってくれた。


そして、昨日が、その一周忌の当日。

お寺のお坊さんを番人の家へ呼び、お経をあげ、そして、墓へ向かい、そこでもお焼香をあげたりした。


私は、

この日、私はそもそも、この儀式が終わったらさっさと帰ろうと思っていた。

別に、嫌いじゃない。いや、嫌いになりたくないのほうが正しいのかもしれない。

お墓の前でお坊さんが手を合わせる。
その後ろにパラソルが立てられ、私たちはその笠の下でじっと暑さに耐えながら目の前を見つめている。

その時、風がぶわっと吹いて、なんとなく私は俯き気味だった顔を少しあげたんだ。

その瞬間、私の脳裏に色んな記憶が蘇った。
祖母が、扇子で仰ぎながら、暑いな〜と言っている姿が、
祖父が、まーちゃん今日は苺買ってきてるで〜と言っている姿が。

そして、どこからともなく祖父の声が聞こえた気がした。

「まーちゃん、たまには仲よおしたってくれや〜」
「顔出したついでに、みんなとおったってえや」

私はその声に、ほんの少し涙を浮かべながら、別に1日くらいいいかと、お経を読み終えるまでに思っていた。

おじいちゃんとおばあちゃんは、私がこんなふうに思っていることを、分かってしまっているのだろうか。伝わらなくていいことも伝わってしまうのが、”死ぬ”ということなのだろうか。


お供物などを回収し、じゃあ行こかあ、と、皆が歩き出した。

お墓の少し先にある、休憩所のベンチに座りながら、
「これからどうするー?」と、誰かが言った。


頼られること

「じゃあ、おばちゃんちでご飯食べたい」

こうなることは、いつものことだったりする。
帝王がそう言った時、私がチラッと母の表情を見ると、なんとも言葉にし難い嬉しそうな表情をしていた。

母は、こうやって頼りにされること、自分のご飯を食べたいと思ってもらえたり、その想いに全力で答えることが好きだ。


「じゃあホットプレート出して、焼肉しよか〜」

私が肉を嫌いなことをこの場にいる全員が知っている。ゴッホも。

昔ならきっと、こんな小さなことでも、この日の夜に泣き喚いていたと思う。やっぱり、帰ればよかったと。今はというと、こうやって誰かが誰かを頼りにする、そしてそれに対して応えることで、その人の役割的な欲求が満たされていくところを見られるのならいいかと、思える。

焼肉って、野菜ゼロなわけじゃないしね。

というか、食事へのこだわりが私はないので、みんなが満腹に食べられていたらそれでいい。夜中にお腹が空いたら好きなものを勝手に食べればいいし。


そういうところ

母の家に買い物をした後に、全員で向かった。

クーラーをつけ、母はキッチンで準備をし、みんなはソファに座ったり、床に座ったりしながら、こんな話をした。

「ここの店、こんな口コミがいいはずないねん」

そう口にしたのはゴリラで、自分のお店のライバル店についてだった。

そこから、Googleマップの口コミの捏造についてだったり、もし自分の店で良い口コミを増やそうとしたら、そういうサクラのバイトってあるのかとか、そういう話へと進んでいった。

「ほな、おばちゃん明日会社行った時にみんなに頼んどくわ!8人は口コミ書けるで!」

母はそう、自慢げに言った。

私は、この光景を眺めながら、何故身内が集まると必ずこういう不平不満の話題が生まれやすいのだろうと考えていた。

これを、親密だからだと終わらせられたらいいのだけれど、私はやっぱりこういう空間を自分の人生の中で味わいたくないと、思ってしまう。自己成長のために、必要のない時間だと。


これに似たようなことが、そういえば少し前もあって。
叔父が他界した時、叔父の会社をどうするのかという話が浮上した。

ゴリラも会社経営をしているので、帝王や番人が引き継いで、家族経営をしていくみたいな話も出ていた。

けれど、結局会社を潰すこととなったのだがその過程で、取引先の態度がどうとか、こういうところがあり得ないとか、それはもう盛りだくさんの鬱憤を私は聞かされていた。

別に偉そうなことを言うつもりはそうそうないけれど、そんな甘くないって。

私はずっとそう思っていた。
だってそれ、ちゃんと自分に返ってきてるだけじゃんって。

自分たちに得があるのなら、
自分たちの生活の足しになるくらいの儲けがあるのなら会社を引き継ぐとか、
そういう考えの先で接している人間はそりゃ、こんな人に変わるんだったらもういいかなってなるだろうなって。

私の身内って、こういう人間たちで、そしてこれの何が悪いのかわかっていない人たちなんだ。


凄さ

凄いとか、珍しいとか、他の人よりも優れているとか、そういうことに母は敏感だ。

だから必ず、こうして集まった時に、

「それって凄いん?」
「ゴッホの年代でそんなんできてるん、ゴッホだけちゃうの?」

と、何かにつけて、凄いと言う。
これはもちろん私も子ども時代に言われてきて、迷惑を被ってきたことである。

子どもの話なんてまともに聞いたことはないくせに、人前では、「鳶が鷹を産んだってこのことやわ〜」と、自慢げに話すのを見るたびに、私はこの世から消え去りたいと思っていた。


“それってなんぼなん?”

というお金の価値観に関するnoteでも書いたのだが、母はこういう表面上の金額とか、限定とか、そういうものに価値を感じるタイプだ。

なんなら私以外、皆がこの価値観が強かったりする。

だからいつも、私が何を発言しても、「それって、珍しいん?」「その金額に見合うだけの価値あるん?」みたいな返答をされて終わるのです、私のエネルギーが。


話はどんどんエスカレートしていき、

他の家庭を見下す発言が出てきたり、うちらは、自分たちは違うって、傲慢に自分たちの生きる世界を正当化していき、ああいう子たちってこうやからって他者を決めつけ、そうやって。

そうやって、ぬるま湯に浸かりながら他人へ毒を吐くこの感じが昔から嫌いだった。

人間って別に、優しいだけじゃない。
家族といる時くらい愚痴ったっていいじゃん、それも理解できる。

だけど、
だけど、

私はこういう世界で生きたくないんだって、こと。


たいせつに

これを書きながら、すごく思うのです。
何かを”たいせつにする”って難しいな、と。

ご先祖様を大切にしようと決めて、とか言っておきながら、自分もこうやって不平不満を抱えてんじゃんと言われたら、まあ、そうなのだが。


でも、自分で決めたことだから、

こうやって顔を出したり、身内が大変な時は手を差し伸べたいとも思う。自分のできる範囲で。

その模範解答というのは無いからこそ、難しい。
私は、こうして集まるたびに、魂を吸い取られて悪魔にでもなってしまったかのような気持ちになる。

だからと言って、嫌いなわけじゃない。
ただ、私は私で、違う世界で生きていたい。

でも、ちゃんと少しずつ、自分なりに向き合えているのだろうと思う。

昨日のように、祖父の声が聞こえてきたことは今まで一度もなかったし、いつもは異常なくらい疲れて次の日は夕方に起きるなんてレベルだったが、今日はいつも通り朝に起きて、筋トレもできて、メンタルもブレていない。


昔は、母が赤ちゃんの時のゴッホを抱っこしているのを見て、死にたくなったこともあった。

私が喉から手が出るほど欲しかった愛情を、目の前の人間がいとも簡単に浴びているそのシーンを目にして、当たり前のように可愛がる母を見て、私はいつも親戚と集まる度に、夜中にベランダで泣いていた。


でも今は、大切にしたいって思っている。
みんなを。

だからこの小さな世界で、大切にするという循環を生み出したい。
できているのかどうかもわからないけれど。

そして、それ以上に私は、自分と、もっともっと広い世界で、愛をまわしたい人間なんだ。

だから、そうして生きていく。
分からないなりに、そうやって。


最後に

誰が興味あんねんみたいな話をしてすみません。
読んでくださった方、本当にありがとうございます。

でも、まあ、記録がてら書いておきたいな、とふと思いました。

これを見てくれているみんな。
本当に日々の親戚付き合い、お疲れ様。
みんなで労り合おうな。

私はこうやって書いてはいるけれど、世間的に見たら全然好き勝手やらせてもらえている人間なのだと思います。


決まり事だから、みたいな感じで押し通される家系の方も少なくないと思いますが、それでも、自分はこうやって生きたくないとか、もっとこんなふうに生きたいとか、その気持ちを一番大事にしていきましょうね。


家族とか、愛とか、難しいんですよ、分からないんですよ。
でもね、それでいいんです。
そういうものだと思うから。
答えなんてないからこそ、自分の生き方を大切にしていこうね。


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