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もう1回、ちゃんと1位になりたい。日本代表をつかみブラジルで感じたアスリートとしての差――赤塚康太さんインタビュー

2019年に大会デビューし、1年で日本代表を手にしたフレスコボール界の「きんにくん」こと赤塚康太さん。

日本フレスコボールのパイオニア・倉茂孝明選手とのペア結成、ジャパンオープン優勝、そしてブラジル選手権への出場。一気にトップ選手の仲間入りを果たし、1年の間に数多くの経験を積んでいます。

着眼点や、考え方の端々に、大学まで野球に打ち込み、ハイレベルな競技人生を送ってきたアスリートらしさを感じました。その思考や感覚に、ぜひ触れてみてください。

野球人生に見切りをつけた直後、たまたま出会ったフレスコボール


― フレスコボールと出会うまでのスポーツ歴を教えてください。

小学校のときは、野球とサッカー両方やっていたんですが、中学以降は野球だけです。東京出身ですが、高校は甲子園にも出ている山梨の高校に行かせてもらって、大学も神宮大会に出たことのある四国の大学に推薦で入りました。

社会人や、その上のレベルでプレーすることを目標にしていたんですが、だんだん野球だけやっているのがきつくなってきて……そこで、「3年春のベンチ入り」という期限付きの目標を決めました。そこまで集中して、自分なりに頑張ったのですが、ダメで、見切りをつけたんです。

― そこで大学も辞めて、東京に帰ってきたんですね。その年に、フレスコボールと出会ったと。

そうです、ときどき行っていた渋谷の雑貨店でラケットを見つけたのがきっかけで。店員さんに「これ何ですか?」って聞いたらフレスコボールで、日本代表ねらえるよって言われました。ネットでスターターセットのラケットを買ったのが、2018年の6月。大学を辞めて2か月後ですね。

― 最初は友だちと一緒にやってたんですよね。

中学の友だちと遊びでやっていました。最初は10回続けばいいほうでしたけど、打感の良さと、回数を更新していける楽しさがありました。ビーチっていうのもあるし、めっちゃ楽しかったです。

― お台場で打っている様子をSNSにあげてましたね。当時、知り合い経由以外でフレスコボールをしている人はほとんど見られなかったので、全く知らないきんにくんたちがフレスコしているのを見て驚いた覚えがあります。

日本代表選手、特に当時一番動画をあげていた亮太さんの動画で、速いラリーも見ていました。でも自分たちだけではなかなかできなかった。そのときに、SNSであやっぺさんに声をかけてもらって、まあやさんとも一緒に高田馬場で練習させてもらって、そこでだいぶうまくなった気がしました。

― 当初から日本代表の動画を見てたんですね。

そうです。逆にブラジル人の動画は、選手になってからもほとんど見ていませんでした。日本人選手のいろいろなところを参考にしながらイメージをつくっていましたね。

優勝できたジャパンオープンは、一番納得がいかなかった


― 今のようにフレスコボールにのめり込んだきっかけは何なんでしょう?

野球を諦めたという無念さがあったので、トップになれる可能性があることにすごくわくわくしたんです。ただ一緒に始めた友だちは、そこまで上を目指したいと思ってなかったので、目標が具体的になったのは去年(2019年)、倉茂さんと組んでからです。

― 倉茂選手と組むことになったとき、どんな話をしたんですか?

倉茂さんとは、それまであまり関わりはなかったんですが、2月くらいに、ペアとして出ないかっていう連絡が来ました。僕としては「ぜひ!」と思って返事をして、1回気持ちを確認しようということで、2人で牛角に行きました。

僕はどれくらいのモチベーションと目標を持ってるのかを話して、倉茂さんからは「歴の浅い人と組んで挑戦したい」という気持ちを聞きました。そこでお互い確認ができたので、日本代表を目指して組もうということになったんです。

― いきなり大チャンスが舞い込んできましたね。3月に初めて大会に出てどうでした?

そんなにガチガチになることはなかったですけど、初めてだからアップの持っていきかたもわからないし、順番も最後の方だから時間も結構あって。5分間のペース配分も知らなかったので、本番は疲れましたね。

― 見ている限りでは、その時のベストは出せてたかなという気はしましたが。

そうですね。強く打てていたし、今までの練習以上のものが出せたと思います。6位でも僕は悔しいとは思ってなかったです。

― そこから、5月7月と順調に実力を上げて、大会でそれを出し切るということができたんじゃないですか?

まさにそうですね。だんだん上げていって夏で勝つというのが目標だったので、3月に中途半端に守りに入らなくてよかったです。そこで攻めていけた分5月7月で上がっていけたのかなと思ってます。

― ジャパンオープン(8月)も、結果としては思い描いた通りの優勝となりました。

優勝は嬉しかったですね。ただ、ジャパンオープンはそれまでで一番、プレーに納得がいかなかった大会でもありました。

― プレー後の感触としては、「まさか優勝できるとは」という感じ?

自分たち的には、優勝はまったく望めないプレーだと思いました。でも、周りから僕たちが1位じゃないかと言われて、そうあってほしいと思いながら待っていた順位発表が一番緊張しましたね(笑)。優勝できたので、プレー面での悔しい思いは、ブラジルでぶつけようと思いました。

本番までの雰囲気、集中力、余裕・・・技術以上にブラジルで学んだこと


― 12月に日本代表としてブラジルに行きましたが、自分の結果についてはどう思っていますか?

いろいろあった中での大会でしたが、その時点でのできることはやったかなと。不本意な結果ではありましたけど。

― もうみんな、ぎりぎりの決断でしたよね。
(※ブラジルでの採点方式に対応するため、代表選手の多くが日本とはプレースタイルを変えて練習を積んでいた。しかしブラジル選手権初日の結果を受け、日本式に戻した方が点数を取れるのではないかと、翌日に出る選手たちはプレースタイルを変えるか否か直前の選択を迫られた)

そうですね。初日の女子のプレーを見ながら話して、決めました。ただ、急にフォアバックのラリーに戻したときにアタックの感覚が狂ってて、完全に僕が足を引っ張っている状態で。だから、次の日に試合のない女子選手と、順番に練習させてもらいました。

倉茂さんも連日の練習で疲れがあったし、これ以上倉茂さんを疲れさせるよりは、僕の感覚が戻るまで他の選手に打ってもらったほうがいいと思って。そのおかげで何とかなりました。

― ブラジル人のプレーを見たり、交流したりして、何を感じましたか?

一番影響を受けたのは、「余裕がある」ということです。ラリー自体が安定してるのはもちろんあるけど、選手一人ひとりの雰囲気がすごくかっこいいなって。雰囲気はゆったりしてるけど、いざ始まるとガツンと行ける。それが一番勉強になって、取り入れたいと思ったところです。

― どんな状況でも堂々としていたり、動じないところ。

ある選手の試合を見ていたら、コート内でアップ中、2面あるコートのもう一方から選手の顔すれすれのボールが飛んできたんですよ。でもその選手は微動だにせず、その後もまったく気にせずにペアと話をしていて、集中力すげーな…と思いました。

打ち方は人によって全然違うから参考になる人とならない人がいるけど、そういう面でのすごさを、各選手から学べたのがよかったです。

魅力的なフレスコボール文化を体現できる自分でありたい


― 今後の目標はありますか。

去年は日本ランク1位ではあったけど、それは配点の高いジャパンオープンで優勝できたおかげ。勝てたことはもちろん嬉しいですけど、今年は誰が見ても僕らが1位だなって思ってもらえるような成績を残して、もう1回ランキング1位になりたいです。ちゃんと1位になりたい。今年は大会できるかわからないですけど、それが一応目標ですね。

― 普及面に関してはどんなふうに考えていますか。

去年倉茂さんとよく練習に行っていた鵠沼海岸は、ファミリーが多いですし、ビーチテニスから流れてくる人もいるし、高校生が今年3月の大会にエントリーしていたり、たくさんの人に見てもらえたり、いい場所ではありますね。

僕は、公園とかビーチとかで練習しているのを何も知らない人が見たときに「すごいな、あれ何だ!?」と思ってもらえるようなプレーができるようになりたいです。普及面ではないかもしれませんが。

― それは両面ありますね。競技力をあげていくことで、それが普及につながるという。きんにくんと言えば「#パワーアクティ部」の方も、注目しています(笑)。

あれは特に目標はないですよ(笑)。でもその面から自分を知ってもらう過程で、フレスコボールも知ってもらえるといいなと思います。

― 改めて、きんにくんが考えるフレスコボールの魅力はどんなところですか?

今まで対戦型のスポーツをやってきて、そっちはそっちで面白いですが、フレスコボールは最大限のスポーツマンシップがあることがすごいです。他の人のことも応援するし。

その文化は、今よりもフレスコボールが大きくなったらどうなるかわからないですけど、残していきたいというか、自分自身はそうでありたい。そこが一番の魅力だと思います。

― 応援しています。ありがとうございました!

次回のインタビューもお楽しみに!

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