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未知のスポーツと真剣に向き合い、普及・拡大を実感した1年――厚地達郎さんインタビュー

2019年1月に日本フレスコボール協会事務局長に就任した厚地達郎さん。知識のほとんどない状態で運営をスタートしながら、フレスコボールの盛り上がりを支えてきました。

事務業務だけでなく、体験会に積極的に参加したり、選手たちとコミュニケーションを取ったりする中で、フレスコボールというスポーツのあり方を模索。そして現在、認知度や選手層の拡大を肌で感じています。

今回は、事務局長に就任した経緯と、試行錯誤の1年を語っていただきました。

バンドマン、バーテンダー、人材会社。事務局長の異色の経歴

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― 厚地さんの簡単なプロフィールが事務局長就任時のブログに書いてありますが、変わった経歴ですよね。少し詳しく教えてもらっていいですか?

中高ではドラムとしてバンドをやっていました。大学時代は、高額のバイトをしながら遊びまくって、就活もせず卒業後はフリーターになって。そのときに、大学の友だちに誘われて、上京してからやっていなかったバンドを22,3歳でまた始めたんです。

4年くらいしてそのバンドは解散しましたが、また別のバンドに誘われて移籍。それまでより本気度もレベルも高いバンドで、怒られながらもやっていました。

その後、知り合いのバーテンダーから「後輩のバーでバイトを探してるけど、やってみる?」と言われて、そこでバイトを始めました。数年して、南青山のダイニングバーで店長候補を探しているという情報を得たので、今度はそこで店長に。

そのお店はめちゃくちゃ厳しくて、超ハードワークでしたね。その頃は、バンドでも怒られる、店でも怒られる、という生活。しばらくして、先にバンドのほうを辞めましたけど、夜型の生活にもだんだん限界を感じてはいたんです。

― バーだと昼夜逆転の生活ですもんね。

そのタイミングで子どもができたので、バーの仕事も辞めることにしました。これも友人の紹介からですが、人材系の会社に入社して、初めて会社員になったんです。2018年の1月ですかね。

でもその会社に紹介してくれた友だちが、その年の6月くらいに、窪島さん(フレスコボール協会会長)が代表を務める凌芸舎に転職。僕もその後に続く形で転職したいなと考えていて。

そのときは、フレスコボールの事務局長が空席になっていたので、僕を雇うとすれば、それを担当することになるだろうと友人から聞きました。

僕は仕事の内容にはこだわらないタイプなので、「何でもやるよ」と言って窪島さんにつないでもらい、2019年1月から入社して、同時にフレスコボール協会の事務局長になりました。

何がこの人たちをここまで一生懸命にさせているのか?

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― 事務局長に就任したとき、フレスコボールについてはどのくらい知っていたんですか?

ゼロですね。そういうスポーツの事業をやってるから、お願いねって(笑)。

― 本当に右も左もわからない状態だったんですね(笑)。

でも僕はそれまでも、右も左もわからないところにぶち込まれる人生を送ってきたので、耐性はあって。ただ、全く知識もなく、なんなら興味もない状態で事務局長になったということです。

― どうやって理解していったんですか?

最初はもう言われるがまま、3月にあるオオモリカップに向けて、Peatixでページをつくって募集をかけて、ブログを書いて告知をして。フレスコボールグッズの物販もやっているので、そのプラットフォームであるBASEの運営や配送の仕方など、事務作業を1つひとつ覚えていきました。

でもまだそのときは、点と点がつながらない状態で。3月のオオモリカップを1日通して見て、ようやく「フレスコボールってこういう感じなのか」とわかった感じでしたね。

フレスコボールが国内でどういう風に成り立っているのか、出場者は何が楽しくて出ているのか、どういうプレーが良くて、どういうプレーがダメなのか。そういうことがなんとなくあの1日でわかりました。

― 選手たちと話をしたり、姿を見たりしての印象はどうでしたか?

最初にフレスコボーラーに対して思ったのは、「何でこんなに一生懸命やってるんだろう?」ということですね。プロもないし、参加費を払わなきゃいけないし、優勝しても優勝賞金はないし、全然有名な競技じゃないし。

そんなスポーツにめちゃくちゃ時間を割いて、週末をフルに使って練習して。何がこの人たちをここまで一生懸命にさせてるんだろうというのが率直な意見でした。話してみると、みんないい人たちで。まあ、ノリが大学生だなとは思いましたけど(笑)。

「いい波に乗っている」変化の2019年

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― 厚地さん自身がフレスコボールを初めてやったのはいつですか?

オオモリカップの前、2月に逗子海岸で開催された「さかちゃんカップ」のときですね。逗子は普及の中心部でしたし、ちょうど地域クラブ制度も始まるというときだったので、皆さんに挨拶も兼ねて参加しました。

― あのときが初めてだったんですね!

でもあのときはまだ「なんだこりゃ」という感じで、何が勝敗を分けるのかもわからないし、写真を撮ったり、そのとき新たにスポンサーとなったビオレUVアスリズムの日焼け止めのサンプル配りもしないといけなくて。全然情報の整理ができていませんでした。

そこから、オオモリカップと5月のタチヒカップでだんだん把握していって。徐々に人も覚えてきたので、点だったものがかなりつながって。大会を見ていても、面白いなって思うようになったんですよ。

その後から、言われなくても何をした方がいいのか、何をすべきなのかがわかってきた感じです。

― 運営にあたり、意識していたことは何ですか?

僕に課せられたミッションは普及することなので、まずは内輪感が強すぎるのは弊害になると思いました。内輪ノリがあってもいいけど、内輪に見えないようにしなきゃなとざっくり思っていたところで、スポンサーや、テレビ・新聞などのメディア露出の話があって。

知り合いではない人たちが興味を持ちやすく、ドバッと来やすい環境になったことが良かったと思います。知らない人たちがドバっと増えれば、内輪感は薄まるので。

30人が固まっているところに5人来ると疎外感がありますが、30人いるところに30人来たら大丈夫ですよね。そういう風に、一気に増えやすいという意味で、2018年までとは状況が変わってきていたと思うんですね。

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― 確かにメディア露出から興味を持ってくれた方はたくさんいました。

あとは、僕は体験会がすごくいいなと思っています。選手たちが先生となって相手に成功体験を与える。それが大会の参加者につながったというのが、5月のタチヒカップと、7月8月の大会との違いだったと思います。

そういう変化を目にして、いい波に乗っているなと感じ始めました。そうなれば僕がやることは、1つひとつ、体験会や人目に映る場所でフレスコボールをするための良い調整をしていくことだけ。あとは自然と増えていくと思いました。

― 協会ブログやSNSの更新も頻繁になったなと思ってましたし、協会としての変化は選手たちもすごく感じていたと思います。

真剣に向き合うことを心がけていたので、選手がどう思っているのか、何が欲しいのかなど、なんとなくわかるようになってきて。そうすると愛着が湧くというか。こんなに頑張ってる人たちだから、もうちょっといい夢を見させてあげたいなと思うようになりました。

マイナースポーツが気を付けなければいけないこと

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― 今年(2020年)は、実際にラケットを買ってやってくれる人が急増しているような気がします。今年3月に予定されていたオオモリカップ(直前で開催中止)では、エントリー開始数分で枠が埋まってびっくりしました。

やめてくれよと思いましたね(笑)。あれはね、予想できないですよ。枠を増やしてやることになっていましたけど、当日のスケジュールを組みながら吐きそうでしたもん(笑)。

あと最近感じているのは、杉村くん(フレスコボール関西所属の学生)たちの影響で、学生や20代前半の人たちが広めようとしている雰囲気がありますよね。そのパワーは大きいなと思っています。

― 今後フレスコボールはどうなっていくべきだと思いますか?

こちら側が急いでやらなきゃいけないのは、複数面コートでの開催や、1面でやるとした場合のきれいな参加条件の設定。参加希望者が増えて、去年までの運営方法はもう通用しないので、整備しないと。その仕組みづくりは必須です。

ですが、コートを増やすとなると審判も倍の人数必要になります。協会としてはまだ人を雇えるほどの経済力ではないので、ボランティアを募ったりもしていますが、重要なアタックポイントなどの審判は誰でもいいわけではないですし、そこをどうするか。まだ課題は多いです。

― 最後に、フレスコボーラーに伝えたいことはありますか?

皆さんは今のまま楽しんでもらえればいいと思います。マイナースポーツだからこそ気をつけなきゃいけないのは、いつでも愛されるスポーツであること。

フレスコボールは相手を打ち負かさないという競技の特性上、愛されやすいと思います。だから、これからもいろいろな人に愛されるように、フレスコボールを愛していってください。

あと、やる側も面白いですけど、やられる側も面白いので!(笑) 運営をお手伝いしてくれる人も募集しています。

― やられる側(笑)。わかりました!ありがとうございました!

次回のインタビューもお楽しみに!


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