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よわいちから

2011年の2月の後半にボクは屋久島から東京に移り住んだ。
20代の10年間も東京に住んでいたが、その後は静岡に引っ越した。
理由は「都会の世知辛さ」というありきたりの動悸だった。
その後は名古屋に住み、その後に屋久島に移る。
そういう意味では屋久島は東京に一番遠い場所だった。

東京に戻る前年に、国分寺で個展を開催し、久しぶりにけっこう長く滞在する。
その時に感じた東京は、以前とは全く違う印象をもたらせる。
これは自然豊かな場所に住んだ経験がある人の多くは実感する事だが、自然豊かな場所というのは、美しいけど厳しい。
この矛盾する感覚は簡単に言えるものでは無いので、いずれちゃんと書きたいと思う。

そして久しぶりの東京を歩き、街の繊細さや優しさに気づいた。
屋久島には生涯すむつもりだった、が、その時の正直な気持ちが、滞在中に不動産屋に行かせ、そのまま部屋を決めさせる。
自分たちでもあっけに取られた様に、立て板に水が流れる様に全ての手筈が整って行った。
そして2月の月末には今の部屋に住んでいた。

引っ越しも落ち着き、その日は浅草にダンスの公演を観るために居た。
お昼を食べ買い物をして、地下鉄に乗って発車した直後に遊園地の乗り物に乗っているかの大きな揺れがある。
しばらくして電車は駅まで引き返し、ボクらは地上に出る、そして又大きな揺れが来た。
これは直ぐに戻らないとダメだと思うと同時に、公共の乗り物は動かないだろうと直感が来て、そのまま歩き出す。
3~4日前にiphoneを手に入れていて、ナビゲーターを頼りに府中に向かう。
9時間かけて部屋にたどり着いたのはもう深夜だった。

とても大きな感情の中に居たが、起きた事の重大さを知れば知るほど、その渦中に居られた事をむしろ幸運だと感じて来た。
遠い場所に居たら、それはニュースでしか分からないが、ボクらは9時間東京の街を歩いたからだ。
そのお陰で、今でもあの日の事、その後の事が鮮明に残っている。
何を感じていたか、何を考えていたかが、昨日の事のようにある。

3.13の夜、ため息をつきながら「これからどう生きようか」と思いながら、ベランダから夜空のオリオン座をぼんやり見ていた。
その時に不思議な言葉がボクの頭に浮かんだ「よわいちから」

よわいちから

謎掛けのように、禅の公案のように、ボクはその「よわいちから」の意味を考えた。
そして心底深く納得する。

今起きているのは「つよいちから」だ、一瞬にして押し流す様な、人生の意味さえ変えてしまった強い力。
その日から以降、BC/ADのように、社会の方向性を変えてしまった強烈な力。
だけど、ボクたちはずっと生きて来た、生きている。
ホモ・サピエンスが誕生して何万年、個々の人生や運命の波風を乗り越えながら、ボクらは一本の生命に繋がって来た。
そうだ「よわいちから」とは、「生きているちから」の事なのだ。

それからボクは自分の絵の個展に「よわいちから」を掲げ、小さい日常や繋がる生命を描く様になったのだ。
そして改めて言うと、その「よわいちから」こそが、宇宙や生命にとって、最大の強さである事を絵に塗り込めて。
でもそれは、あの日屋久島で観たもの凄い生命力の延長でもあった。

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