SNSを実名でやる理由

著名人でもそうでなくても、定期的にSNS上でトラブルが起きています。
パリ五輪期間中も誹謗中傷問題が起きましたし、つい2、3日前もある出来事が起きましたね。

こうした騒ぎを見る方からしたら、

「またどこかが炎上しているのか」

ともはや慣れっこだとは思うのですが、それに対していろんな人が反応しており、流れてくるそれらのコメントや投稿を目にすると、中には気分の良いものではないものもある。

そういえば、僕はSNSに関しては、このnoteも含めてすべて「ほぼ実名・顔出し」で行っています。

Facebookは実名必須で、Instagramも顔を出すのに向いているSNSですが、Xとかこのnoteは匿名でも問題ないのに、なぜわざわざほぼ実名でやっているのだろうと考えてみました。

それに対して導き出した結論は……





「気持ちよく使いたいから」

どれだけ考えても、シンプルにこれだけでした。

匿名でやる方が伸び伸び発言できたり、投稿したりできる人が大半ではないかと思います。
ただ、僕の場合は、匿名でやると、実際に何度か趣味系アカウントを作ってやってみたときに思ったのですが、なんだかちょっと「気持ち悪さ」を自分自身に感じてしまったんですよね。

うまく言語化できるわけではないのですが、

「素性を明かさない状態で発した言葉」

は、最終的にどこに向かっているのか、それを発言・投稿したことでどうしたいのか、アウトプットの先が見えないことに僕は消化不良な感覚を抱いてしまったんです、

ほぼ実名・顔出しでSNSを運営するのは、自分の発したことに対する責任を持ちたいという意味もあるのですが、今回の著名人の件のように思わぬ受け取られ方で炎上することもあるでしょうし、責任を取るに取りきれない面も正直、ある。

それ以上に僕は、発言した先に何かゴールというか、自分の実になるものが欲しくて。

その実になるものとは、何もご大層なものではなくて、他者から得られる「いいね!」やコメントでもいいし、それこそ発言したことで自分の考えを整理できるという、自己完結型の成果でもいい。

自分を明かした状態でもらえる「いいね!」やリポストは、僕自身が良い評価をされたみたいで嬉しさも大きい。
一方、素性を明かさない状態で何か言って、それでいいね!などをもらえても、嬉しいは嬉しいですが、どこかで本来の自分を評価されたわけではない空しさを感じてしまう。

僕の場合はそうです。

あとはまあ、あまり仮想空間と現実との間に境界線を設けたくない、という気持ちもあります。
そこは、地続きでありたいというか。
変にSNS上とリアルとを分けちゃうと、なんだかどちらの世界にも余計に居づらくなってしまう気がしてならないんです。

みなさんはどうでしょうか?

自分にとって心地よいSNSの接し方を見つけていきましょう。


読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。