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札幌の時計台から歴史的財産の価値を考える

数ある有名な北海道の観光スポットにおいて、札幌時計台はやや残念な評価をされがちである。

写真で見ただけでは、立派な大きい建物を想像してしまうのか、

実物が小さく、せっかく行ったのに残念だ

と言われがちである。

たしかに世界各地の有名な歴史的建造物は、巨大であることが多い。

しかし、大きいだけが価値であることには決してならない。
歴史と文化のかけらが形として残っている点こそ真の価値である。

文化財は、たとえ小さくても、その時代の生活文化を学べるから重要なのだ。加えて、どのようにしてその建物が建造されるに至ったかという歴史上のマイルストーンとしても重要である。
過去と現在のつながりを浮き彫りにし、歴史の流れを学べるのである。

だから、それらは大切に管理され後世まで遺す価値のあるものである。

また、自分たちのルーツを知る手がかりにもなりそうである。そういった観点で鑑賞するのが良いだろう。

こういう視点から見ると、札幌時計台は残念スポットなどではない。
昔の出来事が今に繋がってるということをありありと感じることのできるスポットであった。
いわゆる北海道開拓の歴史だ。

私自身、北海道出身であるから札幌の歴史に興味があるためにこのような主張をしているのもあるかもしれない。
それを差し引いても、黒田・ケプロン・クラークなどがどんな想いで北海道を拓いたのか、それを幾許でも知った上で札幌時計台を訪れると、歴史の中で開拓に情熱を捧げた男達の物語が眼前に広がり、畏敬の念を抱くものである。

こんなことを言っている原因は、中谷宇吉郎の随筆を読んだことによる。

札幌時計台には図書コーナーもあり、中谷宇吉郎の孫弟子の本もおいてあった。ここにも歴史の流れを感じさせるものがある。

まとめ

世界がどうつくられたかは知らない。神の御業など知る由もない。あるいは宇宙誕生の科学的説明も今は決定されていない。
だけど札幌がどうつくられたかは知ることができる。街をつくるのは、人の手でしたことだ。
先人達の苦労や努力を思うと、今という時間をより良いものにしようと思えてくる。なんだか勇気をもらえる。

先人達とのつながりを感じることのできる場として文化財はあるのだ。

札幌に限らず、どこか観光地に行く際は、その土地の歴史を勉強してから訪れるとより実りのある旅にできそうである。

今はコロナのせいで旅行にもいけないが、今のうちに訪れたい場所の歴史を勉強するのもいいだろう。

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