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半径5mの世界

「こんな時代だから、存分にやりたいことをやったらいいよ」
そんなことは、親だったり人生の先輩からも幾度となく言われてきて、
なんだかんだ恵まれた環境の中、好きなことをやらせてもらってきて今がある。

だけれど、よくよく考えてみれば「やりたいことをやる」なんてのはお金の問題をぬきにして考えたら、そんなに難しくないはずなのに社会的になればなるほど、私たちは何かと理由をつけて難しいと感じてしまう。なぜだろうか。言いたいことがあれば、影響力はさておき不特定多数に無責任にこうして言えて、スタートアップでやろうと思えばなんでもできてしまいそうな、緩く大衆化されたこんなマスの時代。やりつくされた残りカスをかき集めて”独自性”や”新規性”を言い訳みたいに並べながらも希望を捨てきれない私たちに向かって言われる”やりたいことをやったらいい”は、あまりにも空虚だ。それが当然とされるのは、どこかしんどい。そんなふうに感じる同世代は別に少なくないと思う。

それでも私が創作を続けられるのは、社会やその未来を変えるためでも啓蒙するためでもなく、または自己実現や社会貢献の名目なんてものはなく、ただそこに守りたい半径5メートルの愛する世界があるから。その小さな世界には、速さがもたらす即効力、消費の快感、マスとの共感はいらない。必要なことは自己防衛でも諦めることでもなく、手放すための勇気だけだ。

私がMEGIHOUSEとであったのは、2022年。コロナが少ずつ収まり世の中が動き出した時のこと。
愛知県芸が所有していたその施設は2019年に手放され空き家状態。剥がれた土壁が床に積もって空気も悪い、おばけ屋敷みたいなその場所は、それでも”何かができる”予感に満ちていた。それから掃除に精を出し、自主企画でいくつかのイベントをうったけれど、その期待の熱量は今も変わらない。なぜなら、MEGIHOUSEはただそこに在ることを肯定してくれるから。意味と価値を紐づける現代社会の呪いも、そこでゴロンと横になればただそこには空が広がって、その青さがこじれた結び目を解いてくれる。そんな風に許される感覚はたとえ"まやかし"だったとしても、愛おしいと思えた。少なくとも東京にそんな場所はなかった。共同で制作する美術作家の井内宏美さんは、そんな体験を”からっぽになる”と呼び、私はそれを、”透明な余白”と呼んでいる。MEGIHOUSEにある透明な余白は、大きな世界、言葉で塗り固められた文脈と対峙しなくても、半径5mに閉じた世界の中に十分に満たされて、私たちを包み癒してくれることを知った。

クラウドファンディングで出資を募り企画される「イメージの庭」は、MEGIHOUSEを舞台に音と美術の展示作品から成るが、それは訪れた人々に「ただそこに在る」ことを提案する仕掛けにすぎない。私の願いは、”ただそこに在る”ことができた時に、あらゆる社会的契約を一瞬でもいい、手放すことで生まれた”透明な余白”があるのならば、そこから見える景色を名前をつけずにただ眺めてほしい。それだけに尽きるのだ。

クラウドファンデングにはあらゆるリスクがあるし、腹割る覚悟も必要だ。出資を募る名目は作品制作と発表であっても、それは手段であって目的ではない。誤解されてもいい。それでも声を上げることができるのは、ただMEGIHOUSEという場所が私の心の拠り所だからだ。そして同じように、この場所が誰かの心の近くにあったら、それは幸せなことだと思ったからだ。共同制作している井内さんもまた同じ思いだろう。(と思っている)

とはいえ、私の知り合いはほとんど関東住まい。物理的にそんな遠くにはとても行けない、現地で体験できないのならしょうがない、と遠方に住む仲間に言われてしまったら今のところ返す言葉が見つからない。東京近辺でも同じコンセプトでやってみたいとは思うけれど、まずはMEGIHOUSEという場所のために、私は行動を起こしている。
そこでやりたいことは、自分たちの作品で空間を満たすことではなく、「空っぽになれる」居場所をつくること。そしてそれはささやかで愛しい「透明な余白」であることを、ここに添えておきたい。

最後に、クラウドファンディングに記載しているメッセージを抜粋。
ここまで読んでもらえただけでも感無量なんですが、(書きながらすでに自己矛盾を感じている)
こんな駄文でも、興味が湧いたら井内宏美さんと協力して開設したサイトページもご覧あれ!本日1月10日16時に公開です。


ー空っぽになる⾳楽をつくるためにー
「"体"とは"空だ"」
これは舞踏家の故⼤野慶⼈さんからお聞きした⾔葉で、たしか 10 年くらい前に慶⼈さんのダンスワークショップに参加した時のことだったと思います。それから、そこでは背丈よりずっと⻑くて⼤きな空洞をもった⽵棒が渡されたのですが、踊りを知らない私はぎこちない佇まいで、ただ⼀⼼に固い緑の表⽪中に隠された空洞になろうと試みたものです。

そして今、作曲家としての私の創作の関⼼は、「あらゆる約束事をいかに⼿放し、解釈の⾃由をいかに守れるか」ということにあります。"⼿放す"とは、"空になる"こと。その透明な余⽩は、きっとこぼれおちてしまう繊細な感性や思考をすくうための受け⽫となるでしょう。私は、この「イメージの庭」を通して、「ただそこに在る」ことができた時に、はじめて開かれていく感性を、MEGIHOUSE に訪れるすべての⼈と⾒出していきたいと考えています。
松本真結⼦

クラウドファンディング文章より抜粋


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