子育てを考える上で重要なのは、「足し算」ではなく「引き算」なのかもしれない。
最近、少し気になっていることがありまして。
私より少し若い世代ママさんたちって、スマホを駆使して、子育て・知育・教育のあれこれを……
ググって、実践して、写真撮って、インスタにアップして、それを見た人がまた真似して、
うまく真似できた人は「これやっぱりいい!」とか言って拡散して、
うまく真似できない人は「私ってばダメな親なんだ…」とか凹んで……
みたいな繰り返しになってるんじゃないかな~?
(あくまで推測ですが…)
それって子育てのあり方として、どうかな~?
…ということ。
(あ~~!これって、「最近の若いモンは…」ってやつですね!当事者からしたら「余計なお世話!」っていうアレ…(笑)
でもまあ、そう感じる人間はそう感じるよ、ってことで、とりあえず書かせてくださいまし)
気になったらすぐに調べられる便利な世の中になり、それはそれでメリットもあるのは間違いないとは思うのですが。
私が長女を産んで必死に新米ママしてた頃(約9年前:世の中まだまだガラケーな時代)とは、また全然違う世界観で、今0~3歳ぐらいを育ててる人たちは子育てしてるんだろうな~と。
※トップ画像は、ガラケー子育て時代の長女・1歳半ぐらい。
今のような状況が悪いとは言いません。
それでうまいこと楽しくやれる人は、楽しくやってるのでしょう。
しかし…
情報が多ければ多いほど、「自分なりの軸」みたいなものを固めるのは難易度高くなると思うんですよね。情報過多ゆえに迷子になりやすいというか。
たとえて言うなら、「旅行の情報誌を眺めてたら、『見どころ情報』とか『お得情報』とかが載り過ぎてて、どこに行けばいいかが眺めるほどにかえってわからなくなる現象」のような……
旅先は未知だから、情報は欲しいのだけど、未知だからこそ、キャパ超えの情報量を得てしまうと、取捨選択の判断もできなくなるという…それに近いことが、子育てという「旅路」でも発生してるんじゃないかな~と。
大変な時代ですよねぇ……
それでふと気がついたんですが。
そういう「情報過多の連鎖」って、たぶん、「子育てを足し算で考える」という大前提の上に成り立ってると思うんですよね。
ざっくり書くとこういう感じ。
今あるその子の能力に対して、「その子に必要そう」…と、親が考えるものを与えれば…
たくさん与えれば……
たくさんたくさん与えれば……
与えれば与えるほど、親が考える「理想的な姿」に近づいていく!!!
という。
なので、
「たくさん情報を得る方が良い」
「得た情報をたくさん活用できる方が良い」
「親が頑張れば頑張るほど、この子は理想の状態に近づく」
…という発想になるわけですよ。たぶん。
まぁ、これは今に限らず昔からですし、子どもの年齢によらず……ですが。
いや、わかります。
ものすご~くわかりますよ。
そうあって欲しいもの。
親も人間だもの。
「努力は報われる」って、思いたいもの。
「努力は報われる」って、そう言われ続けて育ってきたんだもの、日本の大人たちって。
しかし、ハッキリ言います。
こと子育てに関しては、「親側の努力が報われる」ということは、ほぼ無い!!
だいたいいつも、努力の先に予想される範囲の、斜め上か、斜め後ろか、異次元か、異世界か……なところに、子どもの姿は現れます。
ぬあぁあぁ!なんっじゃこりゃ!!
そんなふうに育てた覚えはありませんっっっ!!
…って、なります。
ハイもう諦めてね~
子育てが親の予想の範囲内に収まるなんて、幻想ですよ幻想。良くも悪くも。
そんな予想範囲外の話に関して、「これを足せばこうなるはず」「7に3を足せば10になるはず」とか、考えること自体が、そもそも不毛な感じがします。
……ハイもうムカついた人はここで読むのやめてくださいね(笑)
ここから先の内容は、
「7に3足したら、5になったりもするよね」
「7に3足したら、12になることもあるよね」
ぐらいの気持ちを持てる方にしか、届かないと思います。
伝わらない人には、きっと伝わらない。
世の中には、
「7に3足したら10になるに決まってるじゃない!!何言ってるのこの人!!!」
ってなる人が大多数であることもよ~くわかります。
そういう大人に育てることを目標に、時代が動いてきたのでね。その中で育ってきた人が今、親になってますからね。そのこと自体はどうしようもない。と、思うことにしています。
まあ、その話はさておき。
話を元に戻しまして。
より良い(というか、より親側が楽な)子育てを模索するにあたって、まず、「子育てを足し算で考える」という前提条件を、疑ってみたいわけです。
もしかして、「子育てを引き算で考える」方が、親も子も楽なのでは?と。
つまり、こういうこと。
その子の持っている力を最大限伸ばすためには、「子ども側から見て不必要なもの」を、「親側にある理想的な姿」から、引き算していく方がいいように思うのです。
親側の思う「理想的な姿」の幻想に子どもを近づけようとするのではなく……
親側が、引き算の発想で、子どものありのままの姿に寄り添っていく。
この方が、親も楽だし、子どもも自分のペースでのびのび育っていけることでしょう。
「断捨離」ってありますよね。物を捨てて捨ててスッキリ暮らすっていう。片付けで人生がときめく、とかそういう話もあったり。
「物を所有する」って、すごい憧れのはずなんですよ。それが豊かさの証だったりするわけですよ。でも、物に囲まれすぎて、飽和状態になってくると、今度は「捨てる」「手放す」ことで、かえって心がスッキリする、という段階が来るっていう。
なんか…今の時代の「知育教育関連の情報過多」は、その、物に囲まれすぎた状態に似てるんじゃないかな、と。
早い話が、捨てるもん捨てないと、いくら新しい収納グッズを仕入れたところで、家の中は片付きませんよ、一時的に片付いたように見えてもまたすぐ散らかりますよ、っていう。
そんな感じで、あれこれ情報を得ては我が子に詰め込もうとしたところで、子どもの力は伸びませんよ、一時的にうまくいったように見えてもすぐまた元に戻りますよ、っていう話です。
で、「断捨離」やら「片付け」やらで難しいのは、「これ、捨てる?捨てない?」っていう、判断の部分。
「子育てを引き算で考える」も、たぶん難しいのは、「これ、うちの子にとって、必要?不必要?」っていう、判断の部分。
あくまで私自身の場合ですが、「不必要なものを引く」時の判断基準は、「それを引いても子ども本人がストレスに感じないもの」です。本人がやりたいことをとことん楽しんでやるために、余計なことは親側が取り除いてあげる。ノイズをカットするというイメージ。
まあ、端的に言えば「無駄に叱らない」ことに尽きると思うのですが(笑)
親側の頭の中にある理想像から、親側の幻想を引き算するのです。
うちの子たちも~
特に次女は~
もう、ほんといろいろ困った子なんですが(笑)
「あれこれ言ったところで言うこと聞かないし、こうあって欲しいとか考えるの、もうやめよう」と、自分の中の「引き算」で決着つけたことは、とても多いです。
2人目育児(しかも長女と5学年差)ということで、子育て2周目の余裕からそうできたところも大きいですが。
すくすく育って次女も5歳。なんか、お絵描きが好きな子で、毎日なにかしら絵を描いてます。
(ジュース飲んだらパッケージのキャラクター描いてた)
もう、そんな姿見せてくれるだけで幸せいっぱいなので~…
好き嫌いが多いとか、
片付けしないとか、
テレビばっか見るとか、
外遊びしないで家でいつもダラダラゴロゴロしてるとか、
夜更かしするとか、
人の名前を覚えないとか、
全ては気分次第とか、
叱ると逆ギレして手がつけられなくなるとか……
(あぁ言い出せばキリがない)
それら諸々のマイナス要素について、いちいち悩んだり解決しようと躍起になったりすることを、そもそもやめて、「どうすれば次女がすくすくニコニコ育っていけるか」を考えることにしました。
そしたら、わりとすくすくニコニコ育っております(笑)
ほったらかしてるんじゃなくて、考えた上で「意図的な引き算」をしてるんです、一応。たぶん。
これ、親も子も、楽。なので、オススメしたい。
コロナでステイホームな時間が長い今年は、特に。
と、思って久しぶりにnote書きました~
相変わらずの長文、ご覧いただきありがとうございました☆
…
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