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子育て業における「『機能』依存の仕事」と「『人』依存の仕事」。《毎日日記22》

入園入学グッズの季節ですねぇ……

(ってことを言いたいだけなのに、標題がむちゃくちゃ固くてスンマセン。そして膨らみすぎてあえなく毎日更新が滞りました……情けない)

最近知り合った人には「ええ!?」と言われるのですが、子育て業8年間のうち3年間ほどは、ハンドメイド屋として活動してました。画像は5年前に私が縫ったものらしいです。Facebookの「過去の思い出」で上がってきた写真。当時はミシンでいろんなもの縫っては、イベント出展して細々と販売してました。パズル教室を始めてからは忙しくなったので、ハンドメイドからはすっかり離れてしまい、今は趣味と我が子用だけにたまにミシン動かす程度です。

作るのが好きなのです。無いものは何でも、作ればいいと思っています。お弁当袋とかだけでなくて、習い事とか、運動会とかも、なければ何でも作ればいいと思ってる人間です。結婚式の時のプロフィール欄に、「人生万事、手作り精神」って書きました。ウェディングドレスは自力で縫うと30万円ぐらい節約できますよ♪(誰への助言か)

話を戻しまして。このお弁当袋やコップ袋がわかりやすいと思うんですが、世の中、「『機能』依存の仕事」と「『人』依存の仕事」がある気がするのです。
※ここでの「仕事」という語は、「それを必要とする人のための行動」の全てを指し、有償か無償かは関係ありません。例えば給料もらえなくても学校のPTA役員業務は「仕事」です。子育て業も当然「仕事」です。

この「お弁当袋を縫う」という仕事は、「たとえ自分が縫えない状況になっても、作り方さえわかれば他の誰かが似たようなものを縫える」という性質のものなので、「『機能』依存の仕事」です。誰かが代わりにその機能を請け負えばいいので。自分で作らなくてもいいし、他のハンドメイド屋さんが作ったものを買ってもいいし、ダ○ソーやイ○ンで買ってきてもいい。

一方で、「他の誰にもデザインできないような形のお弁当袋」「○○さんが縫うから価値のあるお弁当袋」といったように、他の誰かが縫ったら価値を失うような形の「作品を作る」のは、「『人』依存の仕事」です。うーん、ハンドメイドが例だと、やったことない人にはわかりにくいですかね……

芸術系の仕事はたぶんだいたい「『人』依存の仕事」です。芸能人をイメージするとわかりやすいかと。星野源のコンサート行ったのに、他の人が代わりに出てきて歌うとか意味ないし!っていう。
そういうのが「『人』依存の仕事」です。役者なんかも「体調管理も仕事のうち!」とか言われるのはそれゆえでしょう。代替不可能。講師業もジャンルによってはそうです。

で、《毎日日記21》で書いた内容とも関連するのですが、自分の抱えてることが、「『機能』依存の仕事」で、他の人にバトンタッチできる性質のものか?それとも「『人』依存の仕事」で、自分以外の人にはできない性質のものか?日々振り分けて考えておくと、いざという時に行動の舵取りをしやすくなるのかな~と思うのです。

家事労働はほぼ全て「『機能』依存の仕事」なので、私は自分が手が回らなくて投げられる先があるなら投げまくるべきだと思ってます。その『機能』の実践者は自分でも夫でも長女でも他人でも機械でもよくて、掃除でも洗濯でも食器洗いでも、その時その時にその『機能』を引き受けられる人(物)がやればいいと思います。料理だけは『人』依存の要素があるような気がしますが、どうしようもない場合は「栄養を摂取する」という『機能』部分を重視すれば、出来合いのものを買ってくることも含めてやはり何とでもなります。

さらに私の場合、子育ての実務的な部分もほぼ「『機能』依存の仕事」だと思っているので、人に任せられる部分は任せまくって生きてます。食事の世話も、排泄の世話も、遊び相手も、宿題のチェックと丸つけも 、まあ、「母親でないとできない」なんてことはほとんどないと思うのです。実務部分は。

むしろ大切なのは、子育てにおける「『人』依存の仕事」は何か?例えば「この子の母親/父親たる人間にしかできないこと」は何か?を、とことん突き詰めて考える機会を、多くの「子育て業」従事中の人が、どこかのタイミングで一度立ち止まってとことん考えてみること、だと思うのです。

すると、だいたい子どもの精神面のフォローに関するところに行き着くと思います。
「あなたのことが大切なのよ」「いつもがんばっているあなたを見ているよ」というメッセージを伝え続けることや、何かしらほめるべきタイミングの時に「すごい!よくできたねー!」とほめることは、他人もやってやれなくはないけど、両親(または主たる保育者)がやるのとそうでないのとでは影響力が段違いなので、基本は「『人』依存の仕事」だと思います。

なので、実務部分が手が回らなくてぐっちゃぐちゃの状態でも、子どもに対する「『人』依存の仕事」部分をしっかり引き受けられていれば、子育て業務としては誰からも文句を言われる筋合いはないのです。子ども側は「こういう時はこの人でないと」みたいな思いを大なり小なりいつも心に抱えているので、それを感じとることが大切で……
「星野源のコンサートだと思って行ったのに他の人が出てきた」ような落胆を、子どもが味わわずに過ごせているなら、だいたい何でもOKです。時間がなかろうが何だろうが、そこさえ押さえてれば大丈夫です。

問題は、現代の子育てを取り巻く環境においては、親側もついつい、他人でも代替可能な「『機能』依存の仕事」部分を「私がやらねば」と思ってしまい、時に本当に大切な「『人』依存の仕事」=「自分でなければならないこと」に取り組む心の余裕がなくなってしまうことでしょう。

そもそも家事と育児の実務部分は、全部ひっくるめると相当な労働量であり、真面目に1人で全部やろうとすると確実に破綻します。まして他に外部の仕事も抱えてたら崩壊です。いかに不真面目に…というと言い方が悪いですが、いかにして「全部やろうとしない」か、に注力するかが最も重要だと思うのですが、そのあたりを「真面目に」教えてもらえる機会は少ないように思います。

「『機能』依存の仕事」は、同等の『機能』を担える知識や技術を持っている人間が周りに多ければ多いほど、バトンタッチするのが楽になります。なので、その知識や技術を常に周りとシェアしまくることが大切になります。が、これが~~難しいというか、うまくいかないというか、「自分1人でやった方が早い」とつい考えるのが現代の多忙なる大人たちなので~~
意図して普段から周りの人に代わりにやってもらおうとすることが大事なのかな、と思います。かなり意図してないとできません。

出産前の母親学級とか両親学級とかで、沐浴だのなんだのの実務そのものの内容よりも、「いかにして周りに自分の感覚や知識や技能を伝達してシェアするか」のノウハウを教えてくれた方が、救われる人が増える気がするのですが。そこで学べれば子育て以外の場面でもいろいろ役立つ気がするのですが。どうでしょうか。

……と、いうことで、ここまでさんざん前置きして、ようやく本題の入園入学グッズの話に戻るのですが。
(ええええここまでのクソ長い文章全部前置きかよ!とか言わない(笑))

冒頭で書いたように、「入園入学グッズを作る」という仕事は、「『機能』依存の仕事」なので、いかようにも代替可能です。

しかし!なぜかそこに「これは『人』依存の仕事であり私が自分でやらねばならぬ」みたいな呪縛が時に襲ってくるのです。入園入学グッズに限らず、キャラ弁とかもそうですが。
なんか~~その~~「作る」という行為がイコール「我が子への愛情」、みたいにとらえられたりする風潮がありそうなのですが、そこをちょっと整理すべきじゃないか?というのが、本投稿の主たる主張です。
(ここに辿り着くまで長すぎ(笑))

「我が子への愛情を示す」という、本当にほんとの「『人』依存の仕事」は、他にいくらでも手段があるのであって、ぶっちゃけ子ども抱き締めて「大好きだよ~!」って言うのが一番手っ取り早い手段です。なので、あえて「入園入学グッズ縫う」とか「キャラ弁作る」とかの仕事にこだわることはないんじゃないの?ってことです。いや、好きで得意ならそれを手段とすればいいんですが。でもそれ、「他の人もやってるからやらないと」っていうものでもないよね、と。

整理すると、子育て業の中での数ある「『機能』依存の仕事」の中で、これは「『人』依存の仕事」としても良い、と自分が感じるものに限り、厳選して、「自分がやらねば!」という責任を抱えても良い、ということです。自分で好きなの選んでいい。あとは周りに投げまくればいい。

縫い物がすっごい好きなら、入園入学グッズ作りに燃えてもいい。でもそうでないなら、無理して燃えなくていい。
お弁当作りがすっごい好きなら、キャラ弁作りに燃えてもいい。でもそうでないなら、無理して燃えなくていい。
絵本読むのがすっごい好きなら、絵本読むことにこだわりまくって、子どもと絵本を楽しむ時間をすごく大事にすればいい。でもそうでないなら、必要最小限でもいい。

なんかそういう、潔い割り切り方をしていかないと、このググれば何でも情報が手に入って、情報過多な時代の子育て業を生き抜けない気がするのです。あれもこれもやらなくちゃ、になっちゃって。

子どもにとって、何が一番必要なのか。

あれもこれも全部やろうとして、忙しくて余裕なくて自分のことサッパリ気にかけてくれない人よりも……

「これはニコニコやれる♪」という、ただ1つの何事かを通して、自分のことをしっかり気にかけて大事にしてくれる人。

子どもが両親(や主たる保育者)に求めることって、実にシンプルにそれだけなのではないでしょうか。

星野源ファンにとっての理想的な星野源の姿は、あれもこれも手を出してバタバタしている姿ではないはず。

自分の方見てニコッとしてくれる!ファンならそれが最高じゃないですか?

ニコッ♪

で、いいんです。子どもにも。それだけ。

……って、こんだけ書いて結論それかっ!!!

読んでくださった方、お疲れ様でした(汗)

なお、子育て業に従事している人が、うっかりするとすぐ「『人』依存の仕事」を疎かにしてしまい、「『機能』依存の仕事」にばかり忙殺され、結果、地獄のドツボに陥るタイミングがあります。

それは、子どもの「受験」を抱えている時期。

今までいろんな事例を見てきましたが、それに関する内容はまた別の記事で。
(たぶんその記事は有料(笑))

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