逃げの美学

 初めまして、茉夏です。色々なことに悩んで、結論っぽいことを出してはやっぱり違うと悩んでいる10代です。まあ社会人の人とか、普通に学生やってる人とかからしたら甘えてんじゃねぇとか、ふざけんなと言われそうなことを書き留めていこうと思ってます。初めてのnoteは僕が一番好きな言葉である逃げの美学について語っていきたいと思います。

 まあこの言葉は誰が考えたわけでもなく、僕自身でそれっぽく考えただけだなんですが、要は、嫌なことはやらずに好きなことだけやってこうぜ!ってことです。

 まあ舐めてますよね。社会というか人間を。それは僕自身もわかってるんですよ。それでもどうにか思い通りの逃げが実現しねえかなあと呆然と思ってるだけなので大丈夫です。というか、何もしないで生きていくこと自体が無理なわけですよ。極端な話、お金は絶対に必要なわけで、例えば働かないにしても、生活保護を受けようと思ったらそれなりに少しは苦労しなきゃいけないわけですよ。まあそこらへんの話は置いといて、無理そうってことはちょっと考えればわかると思います。これは猿が考えてもわかりますね。普通は無理です。しかし、これを実現しようと僕も少しは努力してると思うんです。

 あれ?おかしいですね?嫌なことからは逃げるんじゃなかったんですか?自己矛盾も甚だしいですね。これが逃げの美学です!基本的に逃げには矛盾が伴っちゃうんですよ。まあ例外もありますが、その矛盾からも逃げる!みたいな!これが僕の昔からのやり方なんですよ。簡単に言うと何かに釣られないと動かないんですよ。そのエサを誰が用意するかがめちゃくちゃ大事なんですけどね…