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まずは、手本を真似てみる

なんだか、ここ2日ぐらい調子がいい。

体調とかそういうのではなく、noteの話。まあ、毎日書いているからnoteがよければ体調もいいのだけど。

それで、なんでかなって考えたら。きっと「明確な目標」ができたからだとおもう。

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いわずもがなの古賀史健さん。いぜんからnoteはチェックしていて、著作もけっこう読んでいるほう。

この方の文章ってなんか引き込まれる。たとえ興味のないテーマでも1000文字ぐらいなら飽きずに読めちゃうってすごいことだとおもう。そんな技術をみにつけられたら、とりあえず人を集められるし、ただの日記がおもしろいってそれはもう僕史上、最強の武器になる。

でも、ここ最近は自分のnoteが好きになれなくて。

方向性が、というほど精巧なものではないんだけど、誤ってコンパスを海底におとした船長のように海からも仲間からも見放されかけていたところ。

そんなときに声なき指導をしてくれたのが古賀さんの文章。

もちろん書き方をかんぜんに真似する必要はなくて。それよりも、古賀さんだったらどう書くかな、を意識して書くことが大事だとおもう。

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その人らしい文章。

古賀さんらしい文章があれば、僕っぽい文章もある。むしろ一滴の「らしさ」をなくして書くほうがむずかしい。

たとえば、「ゴリラ」について書くとする。
(なぜかパッとあたまに浮かんだ)

Wikipediaより

ゴリラときいて上野動物園をそうぞうする人もいれば、アフリカをおもう人もきっといる。もしかしたらメンズ脱毛が思い浮かぶ人もいるかもしれない。

僕はたぶん、まえにこの本を読んだので京都大学元総長でゴリラ研究第一人者の山極先生を連想する。


要は、文章のはじまりと終わりがきまっていたとしても、そこにいたるまでの道筋は千差万別。おなじ文章なんて書こうとおもっても書けやしない。

だから文章を書くって、どれだけあたまに言葉のストックがあるかどうか。どれだけ本を読んで、書こうとおもったときに「引き出せるか」がすべてだとおもう。

そう考えると、文章の書き方とか体裁にいちいちまよっているってものすごく勿体ない。そんなものはすぐに上手い人の真似をして何食わぬ顔で自分のものにしたらそれでいい。

僕たちがやることは、ひとつでも多くの武器ことばをみにつけて、あとは数をこなすだけ。

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noteの書き方

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