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ClubhouseがはじめられないAndroid勢大学生が外から見て思ったこと。(2)

こちらは第二回です。
まだ第一回をお読みではない方はこちらからどうぞ。

 今朝勢いで投稿したnote。
なにごとも勢いは大切だけど、noteはTwitterのツイートの説明をする場所だと思ったので、noteは「すばやく丁寧に」をテーマに自分の書きたいことを書いていこうと思う。

#Clubhouseの盛り上がりを見せる現在と過去に考えていたこと

 Clubhouseがスタートし、業界のトップランナーの方々がすぐさまキャッチアップして配信をしているのをみて思ったことは、コロナ禍の現状、人とのコミュニケーションが対面で無制限に行えない時代に新たなコミュニケーションツールを人々は心待ちにしていたということ。
そして、この盛り上がりは対面・フィジカルな体験が行えない今、新たな形で局所的に盛り上がれるツールだということだと思う。

 私は昨年の5月に緊急事態宣言が出ていた頃、「新しいメディア」が必要だと感じていた。先行きが不透明となり、答えが見えない状況下になると、答えがひとつではなくなる。
感染症という見えないものと、人々の考えを合わせていくことはとても難しい。メディアは感染者数などの数字のデータは伝えてくれるが、
深く掘り下げないし、未来についてもほとんど教えてくれない。
医療従事者の方が番組に出演しても尺が限られてるし、事実か確かめるためにそれぞれが現場でフィールドワークをすることもできない。
Twitterはというとみんなが信じることをそれぞれにぶつけ合い、多様性に富んだ議論が生まれにくい環境だと感じていた。
人それぞれに考えがあるのは当然だし、全員が全員同じ方向をみて、
同じことを考えることの方が不自然ではあるが、今のTwitterはあまりに表面上のことだけをみて相手のことを判断するような事例が多いと思う。

前回話したとおり、私はほとんどツイートをしていなかった。
(調べ直したところ返信ツイートは2019年にしてました、ごめんなさい、ここはご愛嬌ということで...)
なぜ、ツイートをしなかったかを改めて考えると、自分の思っていることをつぶやいたとしてそれがどのように相手に受け取られるかわからない世界に感じられたからだ。

140文字の制約のある世界は、見る角度によって見え方は変わるし、伝わり方も変わる。
浅く考えた内容でも伝わる速度は同じだし、何が起こるかわからない。
文字メディアは相手の表情などがわからないため、どのようなテンションでつぶやいているかわからない。
こうした考えから、「何かを相手に伝えたい、伝えるんだ!」という時以外にはつぶやかないようにしようと考えた。
自然体でつぶやくことが出来なくなった世界では自由なはずのコミュニティも自由ではなくなる。
相手を思いやる気持ちを全員が持っていなければいけないが、必ずしもTwitterで面白いと思われてきたものはそのようなものばかりではなかった。
Twitterは情報量があまりにも多いため、自らが発信した内容はすぐに消えることが多いが、消したい内容でも消せなくなることもある。

EUでは「忘れられる権利」(GDPRと調べて頂くとわかりやすいかと)というものもあり、適用例はまだ少ないが消したい過去・忘れたい過去についての権利についての議論も始まっている。

#Clubhouseの存在を知り変化した事とは...

 Clubhouseの魅力は、個別の部屋が用意されていることで発信者も受け手もテンションの想定が付きやすいことや、ライブ配信のみしか今現在は対応していないため、配信に参加した人たちは「同じ時を過ごしたひと」という感覚となるはずである。
この希少な体験は現実世界の巡り合わせにも似ているのかもしれない。
フィジカルでは出会えないかもしれない人と共有する時間を得られる体験はまさに会員が限られた世界でしか実現しない世界であるだろうし、その世界が特定の人に開かれていることはとても新鮮である。また、配信を体験した人々がSNSで発信を続けることでClubhouseのプラットフォームとしての魅力度は上がり続けるだろう。

 私もClubhouseの存在に気づいたときにはTwitterで検索をしていたし、詳しくなればなるほど行動に移すようになった。
普段の日常とTwitterの世界が全くリンクしていなかった自分にとって、リアルの世界と同じテンションで活動を行うことがここまで心から楽しいネット体験になるとは思ってもいなかった。

ネット上でよくいう承認欲求が満たされるためにフォローやいいね!の数を競う人たちは多いと思うが、その世界では何か寂しさを感じたりや空虚感で無意味な行動だと感じる事も多いのではないだろうか。
Vtuberや趣味のアカウントなどでリアルとは離れた世界で自分を表現したい人は自分のコミュニティでの楽しみ方を確立しているだろうし、現実世界を忘れられるほど人生の一部としてなくてはならない時間と感じる方は多いだろう。

 自分のことを表現するためには、やはり「自分とは何者なのか」ということを相手に説明をしなければ、伝わることはないだろうと考えた。
そこで、noteを始めることにし、自分が表現したいときに表現できるよう事前に整えるべきだなと感じた。自分の考えていることは常に変化するし、
忘れていく。
そんな中で、今を発信することは自分にとっても振り返りを行うことが
出来るだろうし、考える機会を増やしていけるはずだ。

 どのような文化も大切にされるべきであると考えるし、そのコミュニティで楽しむことはその人の人生を豊かにすると感じる。
その人の見たものや感じ方は人それぞれだし、積み重ねてきたものも異なる。そして色々な環境や文化を感じ、ふれあってきた経験が、人々の交流を豊かにしていく。
 Clubhouseで体験できる価値は、人々がお互いに新しい経験を求めて交流し、考えを深めていくプラットフォームとなっていくだろう。
そのような場では、日頃の習慣や文化的な経験はますます大事にされるだろう。

SNSはツールの使い方ひとつで大きく運命を変える。
Clubhouseによる体験の可能性は未知数だし、ユーザー側によって可能性を広げていくことが出来るだろう。

そんな私はClubhouse未体験者だ。




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