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美と汚れのエロティシズム


私は最近、バタイユの展開するエロティシズム論に納得するのですが、彼の著書の一節が、私の以前書いた詩の一部の表現に通ずるように思われたので引用します。
禁止と侵犯にかかわる話題です。


美の完成は動物性の排除であるのだが、しかしそのような美が情熱的に望まれているのは、美においては所有することが動物的な汚れをもたらすからなのである。人は美を汚すために美を望んでいるのだ。美そのもののためにではなく、美を汚しているという確信のなかで味わえる喜びのために、美を望んでいるのである(バタイユ, 2004, 247-248)
エロティシズムの本質は汚すことだという意味で、美は第一に重要なのである。禁止を意味している人間性は、エロティシズムにおいて侵犯されるのだ。人間性は、侵犯され、冒涜され、汚されるのだ。美が大きければ大きいほど、汚す行為も深いものになってゆく(同上, 249)


件の私の詩は以下の記事内のリンクの中にあります。
「目隠し」です。

(抜粋)
もっと、いけないとこ、汚して
汚い太い指で汚して
汚くて吸っちゃいけないとこ、綺麗な口で吸って
汚い声で、綺麗だって言って
(中略)

汚い口が柔らかな小さい輪を舐めている
赤い舌がピンクを濡らしている
(中略)
汚い唇にだまされて敗北したいの

そのコントラストに、不快感とともに抗えない快感や魅力があるというのは、説明できることなのかもしれません。





Cited
ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』, 酒井健訳, 2004, ちくま学芸文庫

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