他人と比較して生きていく
正直なところ、ぼくは他人と比較して生きている。
これは最近流行っている「他人と比べない」という思想には反することになる。
反する。
もうぼかさないことにしたのだ。
「他人と比べない」ができない自分を。
1、他人と比べてしまう理由
なぜ人は他人と比べるのか?
まずはその「原因」を考えてみよう。
これが分かれば、その原因を絶てば問題は解決することになる。
ぼくは考えた。
他人と比べてしまう理由は大きく分けて2つだ。
・上位の存在でありたい
・アイデンティティーが欲しい
これ以外にはない。
こいつらを経てばいいのだ。
そうすれば「他人と比べない」は達成できる。
ちなみにこいつらをもう一段上に抽象化すると「モテたい」になる。
モテたい。
だから上位の存在でありたいし、アイデンティティが欲しいのである。
なんだかひどくダサいように思えるかもしれないので、一応別の言い方をすると承認欲求である。
この後の文章が見るに耐えなければ、「モテる」の部分を「承認される」に変換するといい。
原因が見つかったところで、今度は断つ方法を考えてみる。
「モテたい」という欲求に対しては、
・モテる意味がない。
・無条件に常に、充分モテる。
そう思えれば良い。
このどちらかが満たせれば、断てる。
しかしながら現状、どんな本を読んでもモテる意味がないとは思えなかった。
「他人と比べるな」という本に書いてあるのは基本的に他人と比べるとどんなデメリットがあるのか、しか書いていない。
方法論は説明がないのだ。
ぼくは将来、子どもが欲しいと思っているからモテる意味があるし、残念ながら無条件で常に十分モテるわけではない。
よって諦めた。
もう疲れた。
「他人と比べる自分」に抵抗するのはひどく疲れるのだ。承認欲求は根源的欲求に近い。
それに抵抗することに疲れてしまった。
金玉があるデメリットは「モノが当たると痛い」と分かってはいるが、解決することができない以上、戦っても仕方がない。そんなものは諦めて受け入れたほうが気持ちがいい。
僕は他人と比較して生きていくことを決めた。
2、どの土俵にあがるのか
「他人と比べない」を諦めてから
僕はひとつだけ決めていることがある。
それは
「どの土俵にあがるか」だ。
僕は、他人と比較して生きていくとは決めたが、すべての分野で勝ちたいなどとは思っていない。
競争社会には、いろいろな種目がある。
代表的なのは「年収」だ。
他にも容姿、ファッション、学歴、役職、スポーツ、喧嘩、フォロワー数、英会話スキル、エンジニア、結婚年齢、価値観の多様性など。
無数の競争社会がある。
そのすべてに参加する必要はない。
参加してはいけない。
僕のつくったシェアハウスにも、モテない童貞がおり、それをヤリチンに馬鹿にされたりするが、童貞のほうはそもそもモテたいモチベーションがヤリチンより低いのだ。
それなのにモテの競争社会に参加しているつもりでいると、落ち込んだり、「ちょっとは頑張ったほうがいいのかなあ」などと考えてしまい、なぜか敗北感を味わったりすることになる。
そんなことになるくらいならモチベーションが低い種目には参加しないほうがいい。
スポーツと同じだ。
多くのスポーツをやっている奴はどれも一流にはなれない。それが分かっているから皆ひとつのスポーツに絞る。
現実社会も同じなのだ。
どれもこれも参加していては、どれも中途半端に終わる。「年収」など、参加者が多い種目であれば尚更だ。
選び方はどうだろうか。
スポーツの場合、「体育の授業or友達との遊び」でいろいろな種目を体験し、肌感覚で自分が参加する競技を決めることが多い。
これも現実社会でも同じことだ。
てきとうにいろいろ遊んでみるといい。
スポーツと同じで、「肌が合う種目」はやってみればなんとなく感じるものだ。
途中で降りたっていい。「俺にはこれしかない!」というほどのレベルじゃなくてもいい。なんとなく合う競技や、どうしても参加したい競技が見つかると思う。
なんなら、すでに心当たりがあるかもしれない。
選択と集中だ。
どの土俵にあがるか、選ぼう。
サポートをすると僕に会った時、「俺サポートしてやったぞ」とドヤ顔ができ、僕はあなたにヘコヘコします。 500円につき1回ヘコヘコします。