正と童(仮)

久しぶりにnoteにログインしたら、note一周年おめでとうございます!通知が来ていた。
初投稿の日付を見ると2020年10月13日午前0時34分。
今の日時と2時間程の差しかない。
このくらいの時期になんか文章でも書きたくなる性質なのだろうか。
それにしても正確過ぎてめちゃくちゃ気持ち悪い。

最近、満足に眠れていない。
よくイメージされる夜、寝付けなくて朝方まで起きてしまうやつではない。
忙しくて眠る暇がないやつでもない。

入眠に問題はなく、大抵まとめサイトを見ながら寝落ちしている。
しかし、中途覚醒するのだ。夜〜朝方にかけて何度も起きてしまう。
尿意だったり、音に反応してだったり、体が痛かったり。
ベッドマットを変えてみたり鍼に行ったりしたが改善はしなかった。
そしてここ一週間ほど毎日しっかりちゃんと悪夢を見ている。
全部悪夢。
今日、TwitterでHIKAKINが「ここ5年間毎日悪夢しか見てない」
というスクショを見掛けて軽く感情移入して心配になった。
辛いよね、悪夢。

今までも悪夢ばかり見る時期があって「悪夢周期」と呼んでいたし、
そんな体験から「悪夢T」なるTシャツも販売した。
今回は悪夢に加えて色々あるので辛さが比じゃない。

目覚めが悪いので寝起きは気分が重い。
睡眠不足でなのか集中力が極端に落ちたし、記憶力なんて本当に酷い。
メモしないと数秒前に覚えようとした情報を覚えていられない。
感覚過敏になっていて音や匂いが気になるし、イライラする・・・等ひどいもんである。
まぁ、自律神経失調症だろうなあ。

そんなこんなの最近で、色々思うことや考えることがある。
自分の”脳疲労”である。
考える事が好き。と自称しているが、やはり考え過ぎなようだ。
常に頭の中がうるさい。自分の声で。
恐らく強迫性気味な性質なんだろう。
強迫観念的に考え事をしてしまうが、それが楽しい時は楽しいのだが、
疲れてくるとそこから”楽しい”が抜け落ちて苦しくなってくるのだ。

最近はなんだかよく分からないが誰かと喋りたい欲が酷かった。
毎日夫と喋ってはいるのだが、誰かと喋りたい。
でも、人に会うのも億劫だし電話する気分でもない。
血迷ってインスタライブでもしようかと考えたくらいだった。
何も纏まってないのに吐き出したいし誰かの意見や反応が欲しいのだ。

さっき、明日のお弁当用の具材を作ろうと夕飯の食器を洗っていたら
文章が浮かんできやがった。やかましい。ああもういい!わかった!note書こう。もう書こう!クソが!
そうして今、こうキーボードを叩いているのである。

昨日ブックオフでオードリーの若林のエッセイを見つけて買った。
それを今日途切れ途切れ読んでいたら、自分の頭の中のごちゃごちゃした物が文章として纏まり始めたのだ。それで食器を洗っている時、溢れ出てきてしまった。
もし自分がめちゃくちゃアーティスティックな人間だったら多分膨大な量の文章をそれで書いてしまう異常性を発揮するのだろうけれど、割と凡人なのでそこは程々の量になる事だろう。
しかし、今日こうして文章にすることによって”文章グセ”が付けば、頭の中の混在した色んな考えが整理され、可視化され、良い精神作用をもたらしそうである。

感覚過敏の割には、毎日目や耳に入る情報に良い刺激を感じていないのだと今日つくづく思った。
先日ライブを見た後、刺激されていなかった部分が刺激されて楽しくなり、このまま夜風に当たりながら缶チューハイ片手に語りたいぞよ!語りたいぞよーーー!と無性に思ったのも刺激によって寝ていたどこかの細胞が起きたのだろう。

私は元々出不精でそんなに派手に暮らしたいタイプではないのだが、コロナ禍でそれに拍車が掛かった。というか、必要に迫られないので殆ど外に出なくなった。
去年はそれで特別会いたいわけでもなかったり付き合いで出向いていた場所や興味あるけどめんどくさいなと思う場所にも行かなくなり、心の平穏が訪れてすこぶる調子が良かった。
やはり人間は人に無闇に会いすぎなんだ!行きたくもない飲み会に行って、愛想笑いして、だから疲れるんだ!会いたい人と会いたい時に会えば人間にとってそれがベストだ!くらいの勢いで思っていた。

しかし、それは大きな勘違いだった。余りにも未熟な考えだった。
思えばそうである、私が最近ずっと苛ついている「不快なものは排除していこう!」という思想、運動・・・
全てが清く正しいユートピア・ディストピア。
”無駄”の無い、間違いの無い世界。

そんなものは無い。

コロナ禍で温室ぬくぬく系に育ってしまった私は、外部の様々な刺激から遠ざかっていた。
自分の好きな人と好きな時にだけ会う。好きなことだけする。
これらは、自分に対する優しい虐待であった。
不快な物、人、音、匂い、それらから離れていた私は随分と貧弱になっていた。
元々弱いからとコロナ禍に託けて自分に過保護になりすぎていたのだ。

免疫とは何か。
体に毒とされるものも少量取り入れることによって、身体は強化されていく。
ワクチンもそんな感じだ。

不快な物、無駄なものを排除
持続可能な社会?
そういったものに疑問を持って、時に苛ついていた自分はまんまとその波に乗ってしまっていた事に気付く。

悠々自適に過ごしていた筈が、心の免疫を作る外部刺激、自分の発想を駆り立てる興味の無い事や雑音、不快感。
これらを排除した結果、私の身体は雑音や不快感を欲して感覚を過敏にした。
脳疲労や、考え過ぎでもなく、頭の中の煩い自分の声は、自分が求めて発している雑音だったのだろう。
作り上げた筈のユートピアで、まさかディストピアが作り上げられるとは思いもよらなかった。

ユートピア作りは程々に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?