冬が終わる前に

なんだかあっという間に夕方になってしまったのは途中でネオチしたりして思ったより積ん読やら積ん録やらの消化が進まない割に一日が過ぎてしまった感があるからだろう。朝にはnoteしたのがおもったより時間かかって、書き上げた時には昼になっていたし。

「そんなにタスクが溜まっていないうちに消化しよう頭休め的に」と思っていた料理本がまだ残っているうちに図書館に届いていた次の本を借りてきてしまった。まあ「なんか最近ちゃんと読んでないなあ」って漫然とした感じがでてきていたのでこれはこれでよいか。一冊ぐらいしか大変そうなのもないし。


近所の爺婆スーパーで試みに買ってみた生そばを茹でたらおもったよりおいしく、自分的には店にたべにいかなくてもよいぐらいな満足感だった。まあ「ちゃんとした店で食べるのはまた別」というのはあるけれど、だいたいの及第点レベルの店よりはマシなみずみずしさのある蕎麦だった。蕎麦の茹で方、水の切り方にも因るだろうけど。

それをついったで伝えたらけっこう評判な蕎麦だったとのこと

「もしや」とおもって見てみたら最近うまいとおもった生パスタも同様だった。


そういうわけで昼に蕎麦二枚食べたのだけど「まだ食べれる」て感じだったし、米朝しのんで落語見たり本読んでたらまた蕎麦食べたくなったので食べることにする。


同スーパーで買ったあん肝の煮付けも残ってるので焼酎で。


料理本の一環として「築地市場のさかなかな?」を読みはじめこれは歳時記的な魚の紹介本だったのだなと気づく。絵とそれにまつわる文章の構成で、アパートメントにあった魚の譜の元ネタはこれかなあ、とか。

春の章で紹介されているのはまだい、さわら、まながつお、あかむつ(のどぐろ)、めばる、さより、きす、かつおだった。

自分が蕎麦をたぐりたくなるとき、一緒にたべたくなって食べてるものがだいたい含まれてる。キスの天ぷら、かつおのたたき、メバルの煮つけなんかはくだんの爺婆スーパーでよく出ているので。

金目鯛の煮付けなんかも安くて260円ぐらいででてるんだけど、金目鯛は冬の魚だったのだな。マグロもブリも。えびかにも。

まぐろもえび・かにも嗜好品て感じで年中売ってるようになってしまったから季節のものという感覚がなくなっていたけれど。

鱈もそういうもののひとつだけど、やはりたらは字のごとく冬に食べたいし冬がうまい。


最近出来て結構楽しみにしてるスーパーのさかなやがよくて、おいしそうなたら一匹がまるごとで500円で調理もしてくれるようなので鍋用にしてもらって、余りそうなところを刺し身とかでもよいのかもしれない。いや、たらは刺し身には合わないか。

ふだん切り身でしか見たことなかった魚のまるごとの姿を見ると「おいしそう」の感覚が違うものだなと思う。ちゃんと自分でさばけるようになるとより一層おいしくなりそう。そういうののために良い包丁を集めたり整えたりする愉しみもあるし。まあこのへんはぼちぼちと。


ともあれ冬が終わる前に鱈も焼酎も、冬の海も終わらせたい。





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