「目の見えない人は世界をどう見ているのか」「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」

読んだ本を返す前にメモ的なものの続きとして。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」。


全体的に新書的な平易さで書かれてるので読みやすかった。生物学者を目指していた著者が文転して美学を志すようになって、そういったベースから「眼が見えない」世界を単に「見えない」ではなく見えないこと、見えなくなることでそこに生まれたあらたな意味、感覚、リアリティについて書かれている。

こういう描き方は「聲の形」なんかにも代表される昨今の障害者に対する捉え方に通じるのかなとかおもったのだけど、この本の独自さはやはり美学-生物学的なところから身体的なリアリティを詳述仕様としてるとこにあったようにおもう。たとえば「見る」ということはどういうことなのか。

「見る」というのは通常、眼-網膜が結んだ像を脳内変換してイメージとして脳内に表してる(そこでは左右の眼のズレ-立体視や反転像などが調整されてる)のだけど、「脳内にイメージを表す」ということが「見る」「読む」ということならば視覚障害者でも「見る」「読む」ことはできる。手の指や足の指(裏)で触る点字の感触やその他のモノの感触、触覚から。

視力を失った人はさいしょこういったイメージにも慣れないようなんだけど、ある程度して慣れていくとほんとに「見える」という感じに成って行くみたい。「見える」というか、欠損を意識して不安になることなく像が脳内に再生されていく。もちろん、そこでイメージされる世界は視力がある人に比べて情報量の少ないものではあるのだけれど。でも、視力がないならないである程度「見える」ようになっていく。あるいは眼が見える人が見えない、感じられない感覚-世界を感じられるように成って行く。


それは健常者的なもの、視力がある人とは位相の違った意味によって構成される世界、リアリティで、そこからすると視力がある世界は「そっちの世界も面白いのだねえ」という感じになる。あるいは「それは障害ではなく個性のひとつなのだ」ということが腑に落ちていけば。


美学、あるいはアート的にそういったことを体感できる試みとしておもしろかったのは「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)」という完全な闇の世界を体感できる施設や全盲のひとと一緒に美術を鑑賞するソーシャルビューの試みの紹介だった。

DIDは文字通り、完全な闇のなかに身を置かれるので普段は使ってない足の裏での物体サーチとか、手を使ってのそれ、あるいは姿勢の取り方も変わってきたりする。触覚ほか聴覚や、視覚以外の五感を総動員してるのがDIDー視覚障害者の世界なんだなって身を持って体感するというもの(予約制)。

ソーシャルビューは全盲の人に目の前のアートについて何が描かれてるか伝えることを通じてアートに対する感じ方がそれぞれ違うのだなということをその場で共有しそれ自体をたのしむもの。抽象画なんかは特にそうだけど雲が描かれてると思ってても説明する段になって違うものに見えたり、他の人は違うものに見えてたりするので。そういうことを通じてアートへの理解-共有していくというもの。障害という欠けているものが入ることで場に和が醸されるといえる。もっともそれも中心となる障害者や参加するメンバーのコミュニケーションへの啓けにも依るところがあるだろうけど。


自分がメモる部分としてはそんな感じになるけど、たぶんそれは自分がこういう感覚を既に知っていたからで、なので割りと簡単になってしまってるのだけど。「身体的な感覚を美学を通じて描く」という志向は自分が思ってること-やりたい方向にも共通するのだなとあらためておもった。自分の武術とか身体技法的なものへの興味もそういったものだし。

そういう意味だと著者の今後の作品、著作に期待だし、同著者の「ヴァレリーの芸術哲学」も読んでみようかと。



もうひとつは「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」


こちらはとくにメモることもなかった。というか、だいたいはこちらで書かれてるとおりになる。

[書評] ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由(ジョシュア・フォア): 極東ブログ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2015/03/1-fa90.html


記憶術という世界があるということ、いくつかの記憶術についてのハウツーではない紹介、マインドマップのプザンと『ぼくには数字が風景に見える』のダニエル・タメットも記憶術関わりということ(後者は実はサヴァンではなく記憶術の結果なのではないか?とか)。


ジャーナリスティックな概要としては面白いものでザーッと読むには良かったのだけど自分としては記憶術についての詳細やそれとアクィナス的な知の技法との関連で拡げて行きたかった。ので次の読書に進む。


そういうので関連する箇所としてはタメットが「ぼくには数字や計算がイメージで見えるんだ」といっていた箇所があったけれど、タメットはこれをサヴァンの特有の感覚を印象付けるために言った演出だったみたいだったのでハズレぽい。記憶-個々に意味化する以前にイメージとして転写みたいな機構-パターン認識的なアレがあるかと思ったのだけど。








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αでもβでもなくΚブロガー「正直に本心を吐露すること自体は悪くない。だがそれをしてよいかよくないか、してよい相手かそうでないか、の違いは厳として存在する」
コメント (2)
興味深かったです(#^^#)
あ、アマゾンのレビューリンク入れ忘れたと思って入れようとしてたらもう(汗 つ http://amzn.to/1dzX8Vg 簡単な新書でスラっと読めちゃうのでご興味あったらぜひ
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