「吉田健一」を読み終えたお通夜として

ようやく「吉田健一」を読み終えた。


(長谷川郁夫「吉田健一」から)日本の「近代」文学界隈とその時代|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n1f95a8aafc22


それでせっかくだからなんか書いとこうかと思うんだけど、エントリするほどのことかなあ(するぐらいならなんかほかのもの読んだほうがいいかもなあ)ぐらいの感じで、「でも、せっかくだからなあ」みたいなのがある。変な表現かもだけど身内が死んで、死んだということがまだピンときてないというか、、しばらくしたらピンとくるのだろうけどいまはなんか「終わった」ということだけがそこにあるのを感じられている、ぐらいの。なのでしばらくしてなんか感じた時に書いたほうがいいのかなとか思いつつ、そのときのための予備としてnoteしとくのもよいのかもしれない。通夜というか。



後半で印象に残ったのは中村光夫が吉田健一について評していたところで、「あなたが批評家としてなぜもっと早く出てこなかったかといえば飢えがなかったからです。しかしそれが同時にあなたの魅力なのです」みたいな箇所は少し前にブログのほうでエントリした吉田健一の魅力について各人がいっていたところを想わせた。

それを変えたのが戦争と飢えだった、と。


それでも生まれ育った気風/性格でほかの作家に比べて吉田にはみょーなおっとりとしたところ、ルサンチマンのなさがあったのだろうけど。「他の作家」というのはたとえば江藤淳「小林秀雄」で語られた小林秀雄で、なんだったらそこで語られ小林秀雄に比して「天才」とされた中原中也もそういうことになるだろうけど江藤淳自身も言わずもがな。

文学/文芸という得体のしれないもので食ってくというのは多分そういうことで、そのへんは吉本隆明なんかもちょっといってた >芸術なんていうのは 経済的な価値があるものではない。まあ「売文」ということだけど。

かといって吉田健一が売文しなかったかというとそういうことでもなく、随筆的な仕事/枠ができてからは大いにしたようにおもう。まあ書きたくないものを書くってことでもなく「うまいものをくってそれについてあーだこーだいったら読者も喜ぶというならこれほどよい話があろうかΨ(`∀´)Ψケケケ」ぐらいのものだったのだろうし、それがその枠で求められるギャラに見合った仕事ということでそのぶんは全うしたのだろうけど。吉田健一はギャラは前払い、というか原稿ときっちり引き換えを要求するぶん仕事はきっちりした。要求された原稿用紙のマス目を毎回ピッチリと埋めて終える名人芸で。それは終戦期に金で苦労した/翻訳仕事ほかの雑事的なものを「仕事」として割り切ったところからも来てたのかなとか思うのだけど。

随筆の枠が定着するまでは吉田は翻訳を主として原稿料をもらい、やっと単著を出すことになり青山二郎に装丁を頼んだ時には「こんどは誰の翻訳かね?」といわれ少し腐ったとか何とか。


そういうのとは別に、吉田健一を評価するひとが求めていた、あるいは吉田健一が自負していたのは文学者としての仕事で、それが「英国の文学」「英国の近代文学」だった。吉田はそれらの完成をもって「これでもうやり残すことはない」みたいなことをいっていた。


ただ、その語りはいわゆる日本の文学研究のそれとは違って、ヨーロッパ/英国式のそれだったようだけど。まあ未読なのでこのへんはなんともいえないけど。日本のそれが内容/意味に執着するのに対して、吉田のそれは詩の歌としての部分、それを構成する文脈を重視するのかなみたいなかんじ。このへんは文学研究とは違ったところでもたまに感じていたのだけど(「あいつら、よくもこうテーマがはっきりしないことについてこんなに長々と語れるな。。」)。

このへんの語り、あるいは文学やそれを中心とした世界に対するリアリティが吉田の時間/存在への感覚に通じてくるのかな、となんとなくおもう。


本書でも言われていたけど吉田の晩年の結実は「金沢」「ヨーロッパの世紀末」「時間」らしく、「ヨーロッパの世紀末」については以前にも言ったように歴史学的な内容としてはたぶんそれほど精確ではない。でも内容/精確ということはたぶん問題ではなくて、そこで語られてるのは吉田健一や、吉田健一を通した当時のヨーロッパの人々の文学を中心としたリアリティであり、それらが彼らの存在や時間に通じていたのかなあ、とか。


そういう意味で言うとベルクソンやハイデガー的なものを別の言葉で表したのかなとか思えたりする。あるいは本居宣長。

すなわち、時間、存在、持続、ということ。


ベルクソンとか本居宣長とかは小林秀雄が晩年のテーマにしていて、そこを中心に影響受けたのかなとか思うんだけど、ハイデガーなんかはたぶん別経路から吉田健一も読んでて、正面からは論じないけどなんとなく貯まってたのかなとか。あるいはベルクソンや本居宣長なんかも、小林秀雄ひとりの着目というわけではなく、「文学界」を中心とした小林秀雄-青山二郎たちや鉢の木会のひとびと、あるいはその周辺的にはなんとなく共通にテーマされていたものだったのかなとか思える。


まあとりあえず、いま借りてるものが終わったら「金沢」と「ヨーロッパの世紀末」あたりから読み始めてみよう(堀辰雄も)。



あと、本書を通じて気になった/勉強になったのは前の日記でも書いたように「教科書的な知識では伝わりにくい当時の日本の文壇の文脈、つながり」みたいなの。

文学的なものとして発表された小説、批評、対談では格好つけてるのであまり語られない当人たちのリアルな関係性、平たく言えば「ああ、、こんな子どもじみたことで喧嘩しちゃったんだね」「ふだん朝から晩まで酒飲みづきあいしてて、原稿よりそれがメインで、原稿とかはそれらの泡からできてきたようなものだったんだね」みたいなの。

喧嘩というと三島由紀夫と吉田健一の喧嘩を改めておもう。

三島については、自分的にはみどくというのはあるんだけど、岸田秀もいっていたようにマスキュリズム/男性権威的なパターナリズムが歪んだ形でインストールされた結果、(当人も言っていたように)仮面をかぶって生きることになり、「僕は模造人間」(島田雅彦)的なものだったのだろう。なので、作品のみならず自身の言動や行動、趣味も全てどこかから借りてきたものであったたし芝居がかったものだった。

それらが絶頂期に差し掛かったのが三島が自身の家を建てた頃で、その俗物的な成金趣味に辟易としてしまった吉田がそれを茶化したところが癇に障ったようなんだけど。同じく吉田と喧嘩して鉢の木会を退会した大岡昇平と埴谷雄高の対談に依ると、ほんとの原因は福田恆存がプレゼンスが大きくなってきていたのが三島も大岡も癇に障っていて、そこからの鉢の木会退会理由を直接には吉田健一のイヒヒ笑いのせいにした、ということだった。具体的には文学座から仲谷昇、岸田今日子ら中堅俳優が離脱して福田恆存の劇団「雲」に移った事件。

文学座自体は岸田今日子の父、岸田國士たちのつくったものだったようだけど。話し脱線するけど文学座、俳優座、劇団民藝を中心とした日本の劇団の位置関係も知らなかった。。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E5%9B%A3%E4%BF%B3%E5%84%AA%E5%BA%A7

ので、そのうち別件でお勉強したい。。落ち着いたら演劇も見ていこうとおもってるので。


ついでにいうと日本の文芸/文壇的な雑誌は「『文學界』と、『新潮』(新潮社発行)、『群像』(講談社発行)、『すばる』(集英社発行)、『文藝』(河出書房新社発行、季刊誌)」の「五大文芸誌」を中心とする、と。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AD%B8%E7%95%8C

そしてそれらの雑誌は「いざというとき、人気作家に単行本を出させて一発あてるためのサラリーを提供するために人気作家を囲い、原稿料を与えるために運営されている」(池内恵)、と。


文学/文壇をめぐるこういうざっくばらんなわかりやすい経済構造/見取り図/リアルな関係性、みたいなのはこのあともお勉強していきたい。どうやら自分はこういう見取り図、非明示的な「当然」とされてる空気みたいなのが分かった上でその界をインストしてくほうが吸収しやすいようなので。


「埼玉化する日本」と「現代アート経済学」も読んでるんだけど、考えてみるとこれらも同様の文脈なのか。埼玉化のほうはショッピングモールにおける格付け的な見取り図の参照として、現代アート経済学の方はギャラリーとアートフェアの見取り図として。

服屋の格とかお持たせの格とか。

自分の普段の生活的にはそんなので格付けして生活窮屈になるのとかナンセンスに思ってるんだけど、「こういうジョーシキとか世界もあるのだなあ」ということではおもしろい。

アート経済学の方はブログのエントリでも取り上げた現代アートのキュレーター的な世界との関係で。ギャラリーやアートフェアの見取り図がわかって良い。「現代アートにおいては韓国や中国、インドネシアが熱いんですよ」って某アーティストなひとがいってたけど、ああこういうことなのかあ、って分かった。新興国の経済発展と連動して、ということだともうちょっと具体的な数字との関係が欲しかったけど。なのでちょっとインドネシアの発展の内実についてのわかりやすい新書とかないかなとかおもったり。



全然関係ないけど「日記」として。

ひまわりを買って悦に入ったり

紫陽花で悦に入って「あじさい」歌ったり


薔薇の枯れるのを「これもけっこういいものだな」とおもったりしていた




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αでもβでもなくΚブロガー「正直に本心を吐露すること自体は悪くない。だがそれをしてよいかよくないか、してよい相手かそうでないか、の違いは厳として存在する」
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