見た映画についてちょっと(「奇跡」、「恋に落ちたシェイクスピア」)

今日も未だバイトが慣れてない+ちょっとしたトラブルで時間がかかった、わりにお金にならないようだったので18時前ぐらいに離脱する。ほんとはもっと早くに効率よくかたづけておきたかった、あるいは、きょうのぶんはきっちりおわらせて手応えを得たかったのだけど。


残尿感ありつつ帰って余暇時間もないけど早朝のうちにいちお今日の文の最低限の読書はしていたのでそれなりに心の余裕。こういうのがないで毎日会社勤めで朝から晩まで残業→寝て起きるだけの部屋みたいになると止むだろうなあとかおもう。

帰ったらネコがすこし自閉ぽくおとなしくなっててスマンカッタ。。



土曜日にDVDをかりて返すのがルーチンになってるのでここ2日で連続して映画をみた。「奇跡」(是枝裕和監督)と「恋におちたシェイクスピア」。


「奇跡」は映画の紹介にもあったように単に子役の子たちの成長というか、この瞬間のきらめきをおさめた / それ自体が奇跡だ、というような作品。いちおメインストーリーとしては主人公な少年が別れた両親・家族の状態、離れて暮らすことに寂しさを覚えたためになんとなくともだちが話していた「奇跡の瞬間」に自らの願いを託す旅に出る、というもの。

「阿蘇山が大噴火してここに暮らせなくなって家族がもう一度一緒に暮らせますように」

はじめて鹿児島に来る新幹線の上りと下りがすれ違う地点で願いをすると叶う、というもの。

けっきょく少年はこの願いごとをしなかったのだけど、それは少年にとってその旅と仲間がそういった願いにも勝るものになっていたから。あるいはもうそんなに寂しくもない/なんとなく少しおとなになったからだった。国語の問題だったら「少年はなぜ願い事をしなかったのでしょう?」とか出題されるのかもだけど、たぶんはっきりとした答えはなくて、それは少年自身にもわからない。たんになんとなく「それでいいかなあ」って。


映画のメインははじめてのおつかい的な小学3年生ぐらいの子どもたちのはじめての自力の新幹線旅行でそれはすこしスタンド・バイ・ミーを想わせた。そこにくるりのテーマ曲がかさなっていく。



感覚的にはこれらの曲のPVのような映画だった。


あるいは、上述したように彼らのこの時点での奇跡のような輝きを納めるための装置(アルバム)として映画がそこにあっただけで、おそらくその価値はかれらが青年や大人になってからより感じられるというもの。(「誰も知らない」の柳楽くんの成長をちょっとおもう)


是枝監督の作品というとドキュメンタリー的な社会事件的テーマが多いようにおもうけど、この作品もドキュメンタリーといえばドキュメンタリーだったのだろう。明るい、特に社会事件というわけでもないドキュメンタリー。ドキュメンタリー番組では撮りがたいような子どもたちの生の表情(あるいは「生の表情というフィクション」)を封じ込めたもの。


けっきょくこの映画については野暮にそんなに言葉を重ねるものでもなく「くるりのPVと子どもたちの輝き」ということだったのだろう。




「恋におちたシェイクスピア」はいくつか気になったりお勉強になったところがあった。特に思ったのはエリザベス-シェイクスピアの時代というのはまだまだイギリスは野卑な海賊の時代で特に近代とか洗練とかの時代でもなかったのだよなあ、ということ。そして喜劇を女王自らが要請していたのだなあ、とか。


ふつー熱心なカトリックだったらアリストテレスの「笑いは禁忌」的なアレにふれるので率先して笑おうとしない / 笑いは下品、とかするだろうけど、エリザベスがそれを望んでいた(と映画的には解釈していた)のはそういった洗練や貴族や王族的たしなみから距離をおいても良いという強さがエリザベスにあったから、なのかな。あるいは「フランスの兄弟筋、飛び地的な荘園・格下」的なところから断絶があったからか。まあヘンリー八世によるカトリックからの縁切り。


エリザベスが喜劇を求めたところ、あるいはああいった化け物のような貫禄をもっていたところにもそういう背景があったのかなとか何とか。


そして、それに背く、までもいかないけれど、なんらかの深みを与える形でシェイクスピアは悲喜劇を紡いでいった。

それはこの後のイギリス国民意識や精神の熟成に先んじて標となったところもあったのかなあとかなんとか。


「英国の文学」によるとこの後に宗教改革の影響から自国語(英語)による聖書を作ったことを中心に英語は英語としてようやく定まり、英国人的な意識も熟成されていった、すなわち大人になっていった、とされる。


シェイクスピアの季節がまだ少年→青年的な希望や、大人的なものへの憧れや理想、情熱をもっていたものだったとしたら、清教徒による蛮行はその夢に冷水をかぶせ落ち着かせるものだった。

それは理性に基づいた革命という名の蛮行であり、文化大革命やフランス革命に先んずる苦い薬だった。


英国民はこの後、これら理性という情熱と美酒に生活≠合理性≠常識(コモンセンス)というスパイスをかけて酔わない程度の付き合いかたを嗜んでいく。


ちょうどウイスキーとのつきあいかたのように


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αでもβでもなくΚブロガー「正直に本心を吐露すること自体は悪くない。だがそれをしてよいかよくないか、してよい相手かそうでないか、の違いは厳として存在する」
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