写真の歴史について簡単に

noteのTL?でおしえられてロバート・メイプルソープを検索するとなんか好みの感じだったのでちょっと図書館に予約することにした。写真的なものも最近興味持ちだしたのでけっこう知らない作家がいて、んでもそういうのにイマキタできる悦びもあったり。特にソレを仕事とかにしてるわけでもないので「アーカイブがこんなにあって大変だあ」(アーカイブ問題)てことでもなく「ああ、こんなにあるからてけとーに愉しめるやあ」てかんじ。んでもこういうのをインストするときには経路・大系・文脈をしってたほうが良いかなと思うのでいちおおさらい的にお返し。


商業的な写真-Photograph-カメラの歴史というのはおーざっぱには白黒写真的な時代に「絵画・芸術としての写真」をめぐって展開されていった


スーザン・ソンタグ、1977(1979)、「写真論」: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385423814.html


カメラなんかもまだ単なる視覚的な見世物の一つとして認知されていたので、それをもって芸術的なものとしていくには絵画的な文脈を辿る必要があった。

それが解放された契機はカメラの小型/携帯化に依るところが大きく、これによってわりと気軽に郊外に持ち運びできるようになり、構図や題材も自由度をました。そこからアッジェやアーバス的なものが生まれていった。


写真を芸術的なもの、あるいは「なにか決定的に絵になる瞬間のものでなければ人前に出すべきではない」という前提から捉え作品を発表していった時代の代表的なものがアンリ・カルティエ=ブレッソン「決定的瞬間」的なもので、そういった「らしさ」みたいなのを解体しつつ、その場のリアリティのようなものをできるだけリアルに捉えようとしていったのが写真芸術的なものの歴史といえる。

その辺の説明はホンマタカシさんの本に詳しいしわかりやすい(写真の歴史的な図も付いてるし)。

複製技術時代のゲージツと芸術: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/411486448.html


写真というとよく白黒表現があってそういうのは「ゲージツ的な写真」とされがちだけど、「なぜカラーではダメなのか?(ダメだったのか?)カラーな写真が作品としてプレゼンスしていくまでどのような過程があったか」、とか。

そして、それらを通り越して「複製」あるいは「引用」するということがデジタルとPCを介してあらたなモメントに差し掛かっている現在、カメラ-写真というものの意義とか、あるいは「写真する」ということを広義にとらえ展開していく写真家?もいる(PCで印刷し複製した写真を削って作品として提出する人とか)。


まあとりあえず「興味があったら」ということで。


教材はアラーキー。ホンマタカシと一緒に学ぶ、かたくるしくない写真のお勉強 - アート・デザインレビュー : CINRA.NET http://www.cinra.net/review/20150210-switch

『BRUTUS』でホンマタカシが写真案内、梅佳代や川島小鳥、森栄喜ら11人の写真家登場 - bookニュース : CINRA.NET http://www.cinra.net/news/20150203-brutus

ブルータスのほうは日本の商業写真的なものの雑誌的な系譜がなんとなく分かる。そこにおけるヌード写真とゲージツ写真の位相みたいなの。



そういえば、関連で木村伊兵衛賞見に行こかどうしよかとおもってたのを思い出したのだった


木村伊兵衛写真賞 40周年記念展 | 川崎市市民ミュージアム http://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/kimuraihei40/


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