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2020.1026 Sky

”Sky 星を紡ぐ子供たち”というゲームにおいて、僕らが感じるあの感動はどういう種類のものなのだろうか。ノスタルジーともいえるし、全く新しい種類のそれともいえる、ともかくゲームには映画や音楽と違って自主性によって切り開かれる世界が確かに存在していて、体験する面白み、操作する楽しさがあるという事だけは確かだ。という当たり前の意見を持たざるをえない。表現にはまだ可能性しかない、まだ何も始まってもいない。すべての分野の方法論は出尽くしたと悲観するほどに情報であふれた現実世界において、自分の深層である地下2階に到達する方法は、ありあまるほどにある。

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 このゲームを楽しむために余計な情報は一つもいらないという意見には心から同意する。それはネタバレが禁物というゲーム性からではなく、携帯でできるゲームのレベルを大幅に更新したその技術力によるものである。

 僕が携帯アプリと聞いて思い浮かべるものの筆頭がパズドラだ。iPhoneを購入した当初、圧倒的な支配率を誇っており、今に至るまで人気が錆びつかない、優れたゲームであるといえる。誰でも気軽に行えるパズルゲームを軸に置き、現代に至るまでのスタンダードともいえるキャラの収集のシステムを盛り込み、いち早く人気の漫画などとのコラボを行い、まさしくキングオブアプリゲームであった。

しかしありありとちらつく金の存在が、僕には非常に汚く見えて、なんて事はないけれど次第にフェードアウトした事実はある。「ゲームとして面白くはない」というのが主な理由だろう。システムとしては新しかったけれど、ゲームとしてはありふれたものだったのである。そりゃそうだよね、パズルだもん。子供の頃からやってっし。

RPG系のもの、グランブルーファンタジーなども、形は違えど根本は同じに思えたし、boodooに代表される個人アプリは広告をつけて稼ぐスタイル。そりゃ無償で人は動けない。金稼ぐのは大事だけれど、あからさまに広告が入るのは明らかなノイズであるのは事実。

要するにゲームとして感動させる気はさらさらないのである。それが不真面目とかいってるのではなくて、そもそもそのつもりで作られたものではないというだけのことだ。金を稼ぐ手段としてのアプリゲーム、筐体も、Switchなどの優れたものがありふれていて、携帯で求められるのは暇つぶしのゲームで、そこに収集癖や必要性に駆られて課金する人が出るのを見越した人たちには慧眼があったといえると思うし、好きではないけどすごいなとは思う。

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 ゲームのゲームとしての当たり前の喜び。みたいなものにあふれたゲームなのだ。このSkyというゲームは。概ね貶すようなポイントはない。特筆すべきはやはり操作性も含めたグラフィック面だろう、キャラが動く、それもデフォルメされつつもリアルに動く、Apple社が求めたような根源的な、キャラを操作するだけで、世界を歩くだけで感じる喜び、それがやはりずば抜けて高い。ただ歩く、ジャンプする時にためをつくる、羽ばたく時にいったん沈む、など「この世界の片隅で」で見たような、とまでいうと言い過ぎかもしれないが、キャラにアニマが確かに宿っているのだ。

 さらにもう一つあげるとすれば、別ユーザとのコミュニケーションをゲーム性に組み込んだやり口のそのスマートさにあるといえるだろう。このゲームをはじめた当初から、自分の周りに黒子のような姿で各々動き回る他人を見つけられる。彼ら彼女らとキャンドルの火をつけあうとその姿が浮かびあがる。

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こんな感じに。そうしてさらにキャンドルを交換してその星の子とフレンドになることができる。フレンドには自分で名前をつけることができるが、基本的に序盤では話すこともできない。序盤でフレンドとできる事は手をつなぐ事で、自分が引っ張って探検することも、フレンドに攻略してもらうこともできる。上級者と初期からフレンドになれば、効率よくクリアできるだろうし、一周クリアしたのち、たまたま出会った初心者の星の子を連れて攻略する=キャリーするのも楽しい。

パズドラの石にあたるものがキャンドルとハートである。キャンドルはエリアのいたるところにあって、日々更新されるので、いわゆるマラソンして集めるものだ。課金で集めることもできる。対してハートは各地で解放する精霊やフレンドからもらうことで集められる。ハートは課金では買えない。やらしい話、初心者を捕まえて優しくキャリーすることが、上級者の利益にも繋がるわけだ。ゲーム性に優しさが組み込まれているのである。ここがすごい。キャンドルとハートで星の子の衣装などを手に入れられる。キャラの収集に近い。

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 極めて静かな語り口ではあるが物語も存在していて、解釈は人それぞれだがクオリティは高いという優れたフォーマットに収まるものである。本気でここを考察する人々もいる。

 僕らは名も無い星の子としてこの世界に文字通り降り立つ。よくある過剰なチュートリアルめいたものはなくあくまでさらっと操作と世界観についての説明がなされる。それが言葉ではなく映像で語られるのだからもうすごい。やばい。よくわからないけれど各地に精霊と呼ばれるものが散在していて、それを解放していくことが星の子の使命のようだ。そこから長いようで短い僕らの旅がはじまる。すべての精霊と出会ったのち、何が待っているのだろうか、、、

とまあこのような感じに説明はできても、実際にやることでしか実感できないものがあるというだけでもうゲームとしては優れてるじゃないですか(急にキレ気味)。

「小さい頃は神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた」は有名な曲の歌い出しだが、僕らにも確かに神様がいて、いたからこそ見えた景色というものがあった。「あった」と過去形で言わなければならないのが悲しいけれど、そう悲観する事はない。無邪気に遊んだ子供の頃、気づけば仲良くなっていた知らない子供たち、「また明日ね!」という確かさのない約束。小さい頃に確かに存在していて、忘れていた景色が、このゲームにはつまっている。

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