モダンラブ

『モダンラブ・東京 ~さまざまな愛の形

”さまざまな愛の形゛に全ては凝縮されている

つまりは…そこには明確な定義もなければ答えなどないのだ

持論がある。
恋愛観や結婚観について、それらは延長上にあるかのようにみえて、全くの別物なのだ。

夫婦について…
愛だ、好きだと日々言い合っている夫婦が必ずしも円満といえるか?スキンシップや行為がなければ仮面夫婦なのか?
仮に仮面夫婦についての基準がその定義であれば、子の有無に関わらず、世の熟年夫婦と呼ばれる方達のほとんどがそれにあたるのではないか。

大事なのは、結婚したパートナーや配偶者への自分の中での存在意義や、そのポジションをどのように考えるかではないか。言うまでもないが、夫婦も恋人も生まれてから育った環境、考え方も価値観も異なる他人である。その他人同士が、例外はあるにせよ、少なくとも決断した時は「生涯を共にする」とおもいで公に結ばれる(認められる)のだ。ただその時は異性として最上位であること、恋愛のゴールとして、、はたまた自身の婚期であるからなどなど、、決断の背景はさまざまである。

そこから始まり、時間の経過ともに当然相手との関係性の表面も中身も変化していく。それ自体は悪いことではないし、生きている以上は好きな食べ物や趣味趣向が変わるように、至極普遍なことである。

それを結婚だからと、夫婦だからと、十字架を押し当てて考え、気持ちを強いることにも無理がある。それこそ不自然な事

究極はラベリンングのあり方なのではないか。

妻夫ではなく家族。人生を一緒に生きていくパートナー。自分以外の人間で自分の最大の理解者…などなど。
冷めているわけでも、開き直っているわけでもない、ましてやぞんざいにしてもいない。なぜなら、どのようなラベリングであろうと結局は『大切な人』である事には変わりないからだ。

失いたくないからいっしょにいる訳で、それ以上の何を相手に求めようか?

それが愛であるといっても間違いではないと思うし、あえてそう呼ぶ必要もないのではないか。

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