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怒り.あるいは生活 / 散文


無駄に下向きに生えたまつ毛が、今日も目に入りかける。
今はなんとか入らなくて済んだ。
埃がこぼれ落ちる古いモップを忙しく動かし、朝の光を律儀に濁らせるのが、平日の朝の決まりになっている。

頻度はかなり減ったけど、今でも稀に、ああこの言葉は、と思うことがないわけではない。
しかし私は、私の感じる感動さえも信用が出来ない。
たまたま今そんな気持ちになりたいだけなのではないかと疑う。積極的に感傷に酔いたいだけなのではないかと考える。捉え方を甘くしているだけだと思える。感じかけた感動については、全てそれが真実にも思えてくる。
だから、そんな疑いを持たせる暇もない、私をかち割って、異なる私自身を生まれさせるような、そんな雷(いかづち)のような、強い感動をこそ求めている。
どうかこの嘘くさい私を救ってくれ。
この嘘くさい祈り。パフォーマンス?
くだらない。
この頃は、就寝中に口が開いて乾かないよう、いわゆる口閉じテープを貼って眠るようになったが、お前は何も話すなと言われているようで、なんとも笑えてしまう。
テープの貼られた姿の間抜けさは、紛れもない真実だ。気付きはあるが、特に感動はない。

目を覚ますたび、怒りに支配される。
トリガーもストッパーも、中古の愛車だ。
スローテンポの曲を聴きながら時速80km。
穏やかな調べと唸るエンジン音が重なるが、特にそこに矛盾はない。橋の上を早急に流れていく灯りが私の横顔を点々と照らす。
ひとりで突然怒鳴り散らす。怒りの支配から逃れたくて、口先からとりあえず逃がそうとする。
しかし耳を打つその声の信憑性のなさに、内心やはり笑ってしまう。ついでに言えば、言葉選びもダサかった。
パチンコ屋に向かって対向車線を無理矢理に横断しながら右折していく、銀色の軽自動車。

酷く臆病。
つまらないことを思い返す。次から次へと頭に浮かんでくる。
ちょうど夜中、台所に立ったまま、ガラスのコップに注いで飲む水道水の硬さによく似ている。
妙な物体感。
もう過ぎた(はずの)苦痛な時間のことを、私は別に愛してはいない。
だから出来ることなら、背中を押すどころか足首を掴んでくるような過去を思い出す作業に、命を費やしたくもない。
他人の思い出に成り下がることも、私は好まない。
特に、間違っても甘い記憶として思い出すことをされたくない。私が目の前にいた時に、お前が一体何をしてくれた? 甘く思い出すくらいなら、当時の私に対して直接、利益をもたらしてやればよかっただろうが。今すぐお前のそのつまらない貧困な脳みそから、過去の私を象った何かを解放しろ。
勝手にお前が当時の私を、私を象った霊体にして、勝手にお前の汚濁の中にうろつかせるから、いつまでも私の過去が浮かばれないのではないかとも考える。
そうは考えても、他人は変えられるものでもない。気に食わないことではあるが、かといって他人の妄想にそこまで興味のあるわけでもない。
私が死んだら、誰かに思い出して欲しいと、忘れられたくないと願うだろうか? しかし他人の勝手なイメージとしての霊体の私は、それはもはや私自身とは全く別人なのではないか? 他人の手による美化を愛せるか? 私を象ってはいるが私ではない、それを喜べるか? しかしそうして思い出される私はやはり私ではないから、結局のところ私自身は忘れられることになるのではないか? 
いや死後のことなんか考えるのはやめよう。
生きている今のことさえ手に負えていないのだから、考えられるはずもない。
そういえば車の芳香剤を買い足すのを忘れ続けている。

頭痛。
別に永遠の伴侶などではない。

記憶はある。
でももうそれは他人でしかない。
お前はあなたではない。あなたはもういない。
今日もまた、つまらないブルーライトに照らされ続ける猫背を見せつけられる。
でも“みんな”はそんなお前をこそ待ち望んでいるようだ。影にある私の生活のことなど知りもしない、興味も持たない“みんな”だ。
お前の功績は私に何の光も及ぼさないが、お前の汚点は私をも汚すだろう。
私の肉声より“みんな”の入力する一行こそが、お前に栄養を与えていることがよくわかる。
なんたってよりによって私の声は感情は嘘くさいから、勝ち目はないだろう。
いいねを、スキ!を、高評価を与えよう。
別にこのこととは関係なく、あなたはもういなくなってしまったのだから、あなたにも関係のない話だった。
私はつくづく若い。くだらないとは思っている。記憶や思い出は結局妄想だ。他人の美しい思い出になることを嫌いながら、私こそくだらない思い出、独りよがりな妄想に囚われているのがなんともダサい。私があなたを思い出すみたいに、こうは他人に思い出されたくないなと思うから、余計に思い出になりたくないのだろう。あなたを象ったあなたにこだわって、申し訳ない。
私こそ、あなたが目の前にいた時に何かを間違い、何も与えられなかったのだろうな。だから変容して気付かないうちに消えてしまった。
こんな妄想に囚われつつ、一方で肉体だけはしっかり消費されていることが悲しい。肉体はしっかり老いるのかよ。特にこれまでをやり直したいとは思わない。ただこの先、先述の感動が得られればいいとは思う。
今は特に、お前に話すことはない。
伝えておきたいこととすれば、台所で干からびかけた玉ねぎのことくらいだ。

馬鹿らしいとは思うが、どうしても常に、剣(つるぎ)のイメージが頭から離れない。
私は何かとそれを翳す。そして思いきり、気に入らないものをとにかく斬りつける。
斬りつけた後では、あの、思いきりのいい土砂降りの雨のような、屋内で聞くとなんだか守られているような気持ちになる激しい雨、そんな癒しのモチーフたる返り血が浴びられることを想像する。心を濡らし、視界を鮮明にしてくれるだろうことを期待する。
でもそうだとしても、空間を漂うものが、濡れたコンクリートの匂いではないのが残念。
別に残酷なものが好きなのではない。
ただ乾いたものが騒いでいるだけだ。
昔と違って、流石に私は群衆の中でまで私が正しいとは思ってはいない。
ただ個人として癒されたいだけだ。
不健康が怖くて煙草のひとつも吸えない。
酒は体が欲さなくなった。もう酒で吐くこともない。
それにしても、素面で生き続けることが私をより怒(いか)らせることになったのだろうか、よくわからない。
酒を飲んだ時の私は好かれていた。もう会うこともない。誰にも。その私にも。
優しさや感動からは遠ざかり、怒りと弱さと諦めばかりが鮮やかになっている。ある意味では極彩色と言える。
時々苦し紛れのカフェイン。酒とは違う。吐き気がして手が震えるだけで、特に私はどこにも行けない。

一方、無事に暮らせさえすれば、それで充分だとも思っている。
このご時世では、それ以上の何かを望むこと自体、もはや不謹慎になってしまったようにも思う。
自分以外を気にしないだけの強さもない。
でもやはり、勝手な思い出にもなりたくない。

……

また、うたた寝をしていた。
食事の支度でもしなくてはならない。
とりあえずは生活を続ける。
これは本当にありがたいことだ。
その上で贅沢を言うのなら、私はあと一握の何かを得たい。
心を濡らす生き血のような何かだ。

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