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自己実現欲求

人は何かの目標を達成したときに

「やったぞ!」

と達成感を覚えると思います。

しかし、それと同時に

「自分はもう少しやれたのではないか?」

「本当に最善を尽くしたのか?」

と、ある種の「違和感」を覚えることもあると思います。

このような経験をしたことのある方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。

この「違和感」はなぜ生じるのでしょうか。

苦労して、努力して到達した目標のはずなのに。

なぜか「その先」があると錯覚してしまう。

それはきっと、マズローの欲求階層説で言われている「自己実現欲求」に際限がないとされるからではないでしょうか。

マズローの欲求階層説について。誰しも聞いたことがあると思います。詳しく知りたい方は産業心理学などのモティベーションに関する文献をお読みください。ここでは最低限しか扱いません。

人間の欲求は大きく分けて五段階(生理的、安全、所属と愛、承認、自己実現)に分かれ、低次の欲求から順に満たされていって、その最上位にあたる自己実現欲求は永久に満たされてることはない。というもの。

欲求階層説はあくまでも「説」であり、様々な欠点も指摘されていることから汎用性のある「理論」ではありません。(その後アルダファーのERG理論などで発展することになります。)

しかし、目標を達成したときの「違和感」に関する説明には、これが上手く当てはまると思います。

もちろん、極めて高い目標を達成したときには満足感のみを得ることもあると思います。自己実現欲求から逸脱した喜びの場合はこの理論は当てはまらないでしょう。

ここで問題提起したいのはそのような特殊な事例ではなく、

目標を達成(自己実現)しても、満足感のみを得ることは極めて難しいとしたら、自己肯定感を得るのは極めて難しくなるのではないか。

ということです。

目標を達成したことにより、外部から一定の評価はされるものの、自分のなかではなんとなく消化不良を起こしている感覚に陥る。

よりニッチなフィールドでは外部からの評価を得ることも難しくなる。逆に競争が厳しすぎる場では、成果が埋もれてしまうこともあるため、己を評価することは困難になる。

自己肯定ができなければ、心的なストレスが溜まり、パフォーマンスの低下に繋がる。そのような状況を避ける必要があることは間違いありません。

このような「違和感」と上手く向き合うためには、自分自身を適切に評価し、時には甘やかし、時には厳しくすることでセルフコントロールすることが大切だと言えそうです。

本質的には目標とは自分自身で定めたゴールのため、ゴールしたかどうかを決めるのは自分自身。

目標を達成しても、達成できなくとも、プロセスにも着目し、次の目標に向かっていくための糧とできればよりよく生活を送ることができると思います。

久しぶりに目標を達成した大学生のお話でした。

※カバー画像は先日ロードバイクで奥多摩湖を訪れた際の1枚。
このときは「満足感」のみに浸ることができました。笑

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