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流れ星を拾ったら④

日曜日もいい天気だった。

「猫様専用マンションにようこそ」と隣の住人は笑った。
引っ越しの挨拶に行ったのだ。不動産屋さんからお勧めされた猫缶を持って。隣人の名前はテルさん。来月、80歳になるのだそうだ。

「ここには若いテルさんもいるんで、わしのことはテルじいと呼んでくれ」

引っ越しあいさつの猫缶を見て目を輝かせるところを見ると、隣人はたいそうな猫好きに違いなかった。
自分が食べるわけでもないのにここまで喜んでくれるなんて。

「わしが死んだら、あんたがうちの猫たちの飼い主になるんだな。いきなり3匹の猫の飼い主になる覚悟はあるかね。」

そう言って肩をすくめてヒッヒッヒと笑う姿は、名作アニメのキャラクターを彷彿とさせる。

「お、お元気そうだから30年は大丈夫そうですね」と苦笑いした。
これが僕の精一杯。
もっと気の利いたことが言えるようになりたいものだ。

そう、僕が入居できたのは、以前の住人が亡くなったからだ。
マンションの規約通り隣の住人が世話をする、というのは確かに安心だ。

猫は環境の変化に弱いというし、残した猫のことを心配しながら死んでいくというのもつらい。
子供の頃に観た「フランダースの犬」の映画をうっかり彼女と一緒に観てしまって、おじいさんの無念に心揺さぶられてふたりで泣いた夜を思い出す。
このシステムは素晴らしい。猫を引き受ける身になるのは少し辛いけど。

さて、引っ越し初日は、管理人によるレクチャーを受けることになっていた。僕は待ち合わせの時間にエントランスへ向かった。

待っていたのは、現在の管理人、カズさん。
真っ黒な髪、赤いファイルを抱えた手は白くて大きいのに華奢。指先の深緑色の個性的なネイルが目を引く。身長は175㎝くらい。隣に立つと一回り僕が小さい。
年齢は僕より少し年上の30代半ばという印象だ。
最近は見た目が中性的な人が増えているけれど、カズさんも男性なのか女性なのか一目では判断できないタイプ。
まぁ、性別なんてどっちだっていい、同じ人間だ。

この建物は敷地いっぱいに建てられていて、1階が駐車場や倉庫。2階が事務所や共同スペース。3階と4階が居住スペース。建物の真ん中に中庭がある不思議な造りだ。住人は現在16人で満室。猫はそれより多い19匹。

古いマンションだけれど、手入れは行き届いている。建てた当時は比較的高価なマンションだったに違いない。無駄にも思えるスペースがあちこちにあるのだ。

「ここはもともと、近くにあった音大の学生のために建てられたマンションでね、2階の中庭ではミニコンサートを行ったりもしていたらしい。」
中庭には黒い鉄製の豪華なガゼボがあり、大きな植木鉢に植えられた樹々が風に触れていた。
木陰になりそうなところにはベンチがあって、猫がまどろんでいるのが見えた。

外から見るよりもずっと豪華で、めちゃめちゃ手入れが行き届いている立派なマンションじゃないか。それにしては家賃が安すぎないか。

カズさんはにやりと笑った。

「ここの家賃や、共益費、積立修繕費も安いのは、ここで亡くなった人たちが財産を寄付してくれているからなんだ。」

カズさんは立ち止まって赤いファイルを広げた。そこにはマンション管理組合の収支報告書があった。それは小さな企業並みの金額が並んでいた。

「いうなればここは、猫という生物に魅入られた人の墓場みたいなところさ。墓場は違うかな、そうだなもっと適切なワードはないかな。」

カズさんは首を傾げて考え込んだ。

「猫が好きという病気の末期症状になった人が入る、ホスピスみたいなところと言った方が適切かな。いや、この表現は逆に不適切だな。」

ぶつぶついうカズさん。面白い人だ。相手を死人や病人として扱るようで気が引けているのだろうけれど、比喩だから、そんなに気にしなくてもいいんじゃないか。

なぜここに住み、管理人をしているんだろう。仲良くなっていずれ、そんな話ができるようになったらいいな。

僕は黙ってうなずきながら、マンションのあちこちで猫がくつろいでいるのを眺めた。

このマンションでは、猫は完全室内飼い。
でも、部屋に閉じ込めたりはせずに、マンション内は自由に歩き回れる。ベランダづたいに他の部屋にも入り放題。
共有スペースに猫タワーがあったり、腰高が全部段ボール爪とぎになっているところもある。
ただし、中庭は人間専用スペース。猫が虫を食べたりしないように、いつもきれいに手入れがしてあるのだそうだ。
そして、鳥が迷い込まないように、中庭の天井にもベランダにも取り外しの可能なネットが貼ってある。

猫様専用のマンションとは、こんな感じか。僕は少しばかり感動した。

ここに住む猫たちの社会には不思議な秩序があり、ケンカなどは滅多に起きないという。

そして、あちこちで写真撮影が行われていた。モデルは猫たち。
なんと、X班とインスタ班がいてかなりのアクセス数を稼いでいるらしい。
収益から毎月猫の餌やトイレ用品、爪とぎ用の段ボールなどの猫用品の費用が賄われるという仕組みだ。

実に興味深い。僕はここにずっと住みたい気持ちになった。

続く

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流れ星を拾ったら① 流れ星は青い卵
流れ星を拾ったら② 引っ越そうと決意
流れ星を拾ったら③ 猫と引っ越し
流れ星を拾ったら④ 猫専用マンションへようこそ
流れ星を拾ったら⑤ 猫の名前はルネ
流れ星を拾ったら⑥ 僕の特技は速読

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