IT企業65社から内定もらえなかった人
だいぶnoteの下書きに入れているストックがなくなってきたから、いい兆候ではあるのね!
どんどんアウトプットしていきますよー1日1note(たまに休む!)
最近は、そもそも就職に関してそんなに企業を回ったりもしないのかも。
内定がもらえた会社がいい会社かどうかは「ガチャ」と言ってる人も多いかなと。
2000年入社
私は、今の会社に入社できたのは、1999年8月に内定をもらった会社です。
https://employment.en-japan.com/tenshoku-daijiten/13315/
ITバブルとは、インターネット関連企業の人気が急激に高まり、投資が集中したため起こった株価の急騰です。多くのIT関連ベンチャー企業が設立された1990年代後半からアメリカを中心に起こり、2000年頃まで続きました。
私が内定した時は、「2000年問題」とか「ノストラダムスの大予言」とかで地球終わるわーみたいなことを言ってる人が多かった時代。
当時、滋賀県草津市に住んでおり、1時間ほどかかる大阪や近くても京都へ就職活動。そのたびに電車に乗って大勢いる会議室で会社説明会へ行き、説明会だけでも65社訪問面接まで行けたのは10社もなかった。
この時は、インターネットを使って就職活動できたはしりの時期。
面接
今考えるとパワハラにも近い面接あったなぁ・・・
学生2名同時に面接室に通して、面接官に
「彼女いるの?」
とか、比較を見たかったりするんだろうけど。ほかの面接では、帝大の女子学生と同時に面接されて、今日は新聞でどんな話題を読んできたか?とか聞かれた思い出あり。
面接に呼ばれたので、控室に行くまでの時に業務フロアを通過するのですが、昼休みの時間は全部電灯が消灯、机にある灰皿の煙だけが見え、社員の方が机にうつぶせになって寝てる。(今では完全に分煙化されてますが当時は、席でタバコが吸えた時代)
「この会社大丈夫かなぁ・・・」
そんな会社に限って、社長とかが出てくる圧迫面接だったり。卒業研究の内容を話してしどろもどろになったところをボコボコにされた記憶あり。
で、行ってたのは今も名が知れた大企業です。
そのあと、破綻やら不祥事やらもあったような会社にも会社説明会などの就職活動に行っていましたが、これらの体験から私が「大企業に対して嫌悪を抱く体質」になっていきます。(実は、今もそんなに好きではない。)
悪いことばかりでもなかった
大学4回生でそんなにいっぱい会社説明会に行ってると「違う会場でも見たなー」という同学年の女の子と仲良くなったりもした。電車の帰り一緒だったとかで就職活動の苦労話で盛り上がったり。ただ、それ以上仲良くならないのは、まだまだ「私も足りないやつ」だったのでしょう。
今の会社は「茶髪」で
よく考えると今は管理職になってしまっていますが、就職した今の会社に来たときは、茶髪でした。今の年齢になって採用とかもするようになったので20年前の私ならどこでも採用してくれなさそうだなーという思い当たるフシは何個かある。
その時面接にできたのが、システム部門の部長(→のちに社長)
今考えたら、拾えてもらえてよかったと思うことも多い。
私はそのあと、関西で4年ほどシステム開発の仕事をしますが、さらに大きな仕事をしよう+会社の方針で東京へ転勤します。
ほかの会社で内定が出ず、今の会社に行ったのが一番良い結果になったのかもしれないとおもうこともあります。
本当なら4月になると一気にリクルートスーツを着た大学生を見る季節なのですが、見ることがめっきり減ってしまったので自分の就職活動の思い出を書いてみました。
おわり!
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