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スケープゴートをつくると人は安心するものなのか?

 木村花さんという女性の方が亡くなったという報道がありました。ネット上での誹謗中傷が原因ではないかと言われています。ネット上で本名も出すことなく番組のために作りだした人格に対して攻撃する行為には正直胸が痛みました。また、それ以上に「スケープゴート(他人の罪を負わされていけにえになる者)」を作り出し攻撃の的にするやり方にとても嫌悪感を感じております。

 この嫌悪感はどこから来るのだろうと考えたとき、高校3年生の時の出来事が今でも忘れられず、その人のやり方と今回のことがとても重なっているからではないかと思っています。

 私はバスケットボール部に所属していました。弱小チームでコーチもいない、顧問とは名ばかりの先生はいるが練習にくることはないようなチームでした。それでも手が届かないところからあと一歩のところまでいけるくらいにはなってきていて、高校3年生の最後の大会で必ず県大会に行く!という目標を持って頑張っていたんです。そんな中、高校3年の4月に私の地元の高校女子バスケ界ではわりと有名な先生が異動でやってきました。悪夢の1ヶ月の始まりです。練習方法の何もかもが変わり、引退後に中心となる2年生と入部して数日の1年生のチームに変わりました。そうすると明らかに練習量が落ちたんです。すると体力も落ち、試合勘も鈍るんです。そして、何故か私だけ先生から無視される、何をやっても怒られるようになりました。あまりにも分からなかったので聞いてみましたがそんなことも分からない奴はいらない、と。そんな形で不完全燃焼のまま満足に試合にも出れず、目指していた県大会にも行けず4月の終わりに引退しました。当日はいつも以上に絶好調だったんですよ。開始直後からシュート決まりまくってて。おー、いけるんじゃね!?みたいになった直後に交代。その後負け確定みたいな状態になって最後だから記念に出とけみたいな形でコートに戻され。くやしいという感情もないむなしい終わり方でした。そして何十年経った今でもいまだに納得いっていないんです。

 両親もバスケットをしていましたので、引退後も親の練習に行ったり、試合を見に行ったりしていました。するとコーチ経験のある色々な方たちに同じことを言われました。

「試合見てたよ。あの先生のターゲットにされて可哀そうに。最後の試合だったのにね。」

 ???。どういうことだろうと思いました。今思えば、自分が「スケープゴート」にされていたのです。いつも1人をターゲットにして無視したり怒ったりすることで「あの子より自分はマシ」という空間を作り出すことで周りの士気を高める方法を長年やっていることを知りました。そして自分に逆らえば同じ目にあわせてやるぞという威嚇。こうすることで集団内の不満も抑えることが出来るのでしょうね。この話を聞いた後に試合を見に行く機会があったので行ってみると、2年生と1年生に1人ずつ「スケープゴート」にされている子がいることがはっきり分かりました。これで集団が成り立っていることやこれで勝ち上がっていく新しいチームを見ていることが出来ず、この日以来試合を見に行ったことも練習を訪れたこともありません。

 今回の報道をみて、これだなと思いました。番組を作る側は意図的に、見てる側はその意図に流されてという形で「スケープゴート」を生み出し、不満のはけ口にしていた。今の状況的に家にいることも多くネットをみる機会も必然的に増えていたはず。外で思うように過ごせないストレスをたくさんの人が抱えていたのかもしれません。それでも、人が命を落としてしまうまでに発展したことを重く受け止めないといけないのではないかと思ってしましました。

 私自身の体験を久々に思い返してみるきっかけになる出来事でしたので、怒りのような感情が伝わってしまうような内容になってしまっているかもしれませんが、私にはこの体験の中で一つだけ救われた言葉があります。

 「最初のシュートの調子が続いた状態で最後まであなたが試合に出ていたら負けていたよ。だからラッキーだった」by最後の試合の対戦相手のコーチ

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