2023/1/29 「人を理解するとはどういうことか」対話レポ

今回、10代から70代の幅広い年齢層の方8名で対話ができました。
初めてタカテツにお越しいただいた方が3名でしたが、結構白熱した会でしたので、ちょっと引いてしまった参加者の方もいたかもしれません。。。
 
まずはアイスブレイクで
・今の気持ち
・2023年をどんな年にしたいか
をオノマトペ表をみながらみなさんに表現していただきました。
 
みなさんの「今の気持ち」
そわそわ、よれよれ、もったり、ぼちぼち、すがすがしい、しんみり、ぐちゃぐちゃ、らんらん、るんるん、わくわく
みなさんの「2023年をどんな年にしたいか」
ふつふつ、ばりばり、るんるん、てくてく、ポンポン、タンタン、ガンガン
 
と、様々な表現をいただきました。
 
今回のテーマは「人を理解するとはどういうことか」
は、とっても広いので、事前の宿題として、3つのテーマで考えてきていただきました。
 
 
・他人の、理解できない行動に出会ったとき、どう感じますか?
 
・「何を考えてるかわからない」と言う時、自分はどんな気持ちですか?
 
・自分のことを「理解してほしい」という気持ちはありますか?はいORいいえ。それなはぜですか?
 
 そのテーマを踏まえて、対話スタート
・他人を理解しようという気持ちは、相手との距離感によって異なる。恋人や友人などの近しい人に対するのと、電車で隣に立っている人に対するのでは、理解しようという気持ちが異なる。
・自分のことを「理解してほしい」という気持ちはあまりない。もし、「理解している」と思っているのなら、それ以上知りたいという興味がなくなるということでは?
→自分のことを理解してもらえないのは寂しくないか?私は理解してほしいので、自分の気持ちなどを言葉で伝え、共感や共通理解をしようとしている。
→わたしのことを一面だけ見て、理解してると思われるのは迷惑。「あなたらしくない」などど言われると、私の何を見てそう言っているの?と思ってしまう。自分自身のこともわからないので、他人はもちろん、私を理解することはできないと思う。
その人を理解した、という想いは慢心につながるのではないか。
 
→他人の理解しがたい行動に出会ったときは、自分の視野が狭いんだ、と思う。その上で相手のことをわかろうとしている。感情の上での共感はシンパシー、視点の転換によって理解しようと試みるのがエンパシー
 
共感は甘い、という発言はどういう意味か?
→「甘い」という発言をした覚えはない。そのため説明もできない。
→自分は、そのような発言と受け取った。発言者は受け取り手の気持ちを考えて発言すべきだ。責任を持って発言すべきである。
 
〈等々、二者でのやりとりが続く。〉
 
ファシリテーターから、
発言者の言葉は、受け取り手によって解釈が異なる。どんな解釈をするかは発言者の想像を超えるものであり、そこまで責任を負えない。この場に集まる方々には、他人の発言によって傷つく可能性もあるし、自分の発言で他人を傷つけることもあることを知ったうえで参加していただきたい。そうでなければ、誰も何も発言できなくなる。もし、傷つくのが嫌なら帰っていただくものやむなし、という介入をする。
 
対話再開
・お金をもらって絵を描くイラストレーターは、共感を得るために絵を描かなくてはならない。アーティストは自分がいいと思うものを描く。そこに共感がなくてもいい、というスタンス。
→市民の中のコモンセンス、共通理解が大切。お互いのことを完全に理解し合うということは困難だが、共通の感覚、共感を得ることはできるのでは?
→逆に、多様性に関連して「あの人は私と違うから関係ない」という態度をとる人も増えている。相互理解は大切なことだと思うが、生まれも育ちも背景が違いすぎると、相互理解は難しいと思う。
→相手のことをわかろうとするときに、その人の背景で区別すると差別につながる、1対1の個人で見ないと理解にはつながらないと思う。
 
・SNSが発達し、自分の好きな情報しか取りにいかない。すると、同じような考えの人しか周りにいなくなる。自分と異なる考えの人と相互理解するにはどうすればいいと思うか?
→友人関係でなく、隣に住んでいる人や、職場の人とは逃げられない関係。そこで相互理解が必要とされる。
→教育と政治が大事だと思う。
→異なる考えを傾聴するのが大事。相手の思いを想像する。
→自然を先生として、生きる。自然界のはたらきをよく見る。
→自然の美しさ、野蛮さを克服した人間が文明を作った。自然と人間の対立もある。
 
・理性の無い人とどう付き合うか。理性の傲慢。
→理性の無い人が世の中に存在するのか?
→痴呆症の方や赤ちゃん。
→その発言を撤回してほしい。すべての人間には理性がある。
→事実として理性の無い人がいる、と言っている。理性がないからと言って、その人が劣っているわけでもない。
 
〈等々、二者でのやりとり再び。〉
 
時間も無くなってきたので、理性のお話は各自でお持ち帰りください、とお開きに。
 
今回は、二者で意見が対立しファシリテーターが介入した場面が何回かありました。タカテツでは初のことだったと思います。ZOOMでのオンライン対話では何度かこのような場面はありましたが、久しぶりだったので、ドキドキでした。昔よりはうまく対処できたのでは?もっとうまくファシリテーションする方法があったのか?自問自答です。
意見の対立は、まさに今日のテーマの他人を理解するというテーマに直結するので、実際に理解できない意見に接したときに自分はどう感じるか、というものが感じれられ、わたしはよかったなと思います。また、対話の場において、傷つきの可能性は常にある、ということを皆さんにお話しできたのもよかったと思っています。
 
今回に懲りずに、またご参加いただきたいと感じています。ありがとうございました。

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