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2022/9/11「いやし」についての対話レポ

アシスタント(受付と飲物係)に中一男子、参加者は20代から70代(推定)まで6名集まり、幅広い年代で対話を行うことができました。
まず初めに、宿題に対する自分なりの答えを述べながらの自己紹介。
みなさんの答えと宿題の問いをまとめると、

(1)自分はどんな時、いやしが必要か。
ストレスがたまった時。
時間がない、という時もストレスになる。
不安で緊張している時。
(2)いやされると、どんな状態になるか。
体力が回復し、プラスな気持ちになれる。
心のエネルギーになる。
もやもやが浄化されるイメージ。
体の力が抜ける。
自然(植物・山・動物など)にふれると気持ちいいなと感じる。
脳内が快適になる。すっきりする。
(3)何に、いやされるか。
いい香りにいやされる。
いい声にいやされる。
好きな時に、好きなことをやると、いやされる。
酒を飲むといやされるが、飲みすぎて後悔する。
好きなことをしているとき。アートや音楽やゲーム。
自分では意外だったがパンダにいやされた。
漫画。
(4)いつから、いやしを必要としたのか。
子育てで疲れていた頃。30代頃だと思う。
10代はじめ頃から。
(その他の意見)
・知り合いで「いやし」という言葉が嫌いだ。という人がいた。

みなさんの答えを聞いたうえで、では、何について対話するか。という段になった時、
「いやし」というのは、問題から一時的に逃げているだけではないのか?
「いやし」では根本的解決にはならないのではないか?


という問いがあがりました。

そこで、前半は、その問いについて考えることになりました。
・いやしブームの時があった。その時に、「いやし」の軽いイメージ、嫌なことは流していこう、というような感じになったのではないか
→「いやし」という言葉が嫌いだ、という人は、問題から逃げているイメージを指しているのではないか。
→古今和歌集にも、和歌で人の心をなぐさめる。という序がある。なぐさめる、といやしは通じるものがあると思う。自分では解決できない問題に対して、精神状態を保つという意味でいやしが必要なのではないか。ささくれだった心をなだらかにするような感じ。現実逃避ではないと思う。

・自分は30代頃からいやしを必要としたが、10代の時も、自覚症状がなかっただけで、いやしは必要だったと思う。苦しいことがあっても楽しいことに目を向けて、ごまかしていたんだと思う。
→「いやされたい」という感覚がなかったということか?
→そう。自分と向き合えていなかった。視野が狭く、前に進むしか出来なかったのかも。今振り返るとそう思う。

・「いやされる」「いやす」という受動と能動の関係があると思う。「いやし」という言葉が嫌いな人は、「いやされる」という他力本願の行動がいやなのかも。

・問題との距離感が大事。いやしの距離感。
→距離感とは?なんの距離?
→例えば、自分に解決できないような大きい問題なら、距離を取る。解決できそうなら近づく。
→例えば、コロナとか、自分一人では解決できない問題は、距離を取って、精神状態をたもつ「いやし」が必要という感じか。
→そう。

・お酒を飲むのが好きだが、「いやされよう!」と思って飲み始めない。飲んだ結果、いやされてパワーをもらえる感じ。問題に取り組むきっかけ。活力を得る。
→知り合いで、童話の読み聞かせをしている人が「いやされますよ!」という宣伝をしてくる。わたしにとって、童話の世界は、あまりいやしにはならない。元気のもらい方は人によって違う。また、「いやし」というと他力本願で、軽さがある。「いやしグッズ」など。言葉の使い方にもよるが。
→商品や宣伝としての「いやし」は、「いやしの押し付け」かも。
→自分がやっている活動も、良かれと思ってい人に勧めているが、それも押し付けかもしれない。
→でも、自分がいいと思ったことや効果があったことは、少し押し付けてもいいと思う。最終的に選ぶのは相手なので。自分で枠を決めないで、言ってみて(勧めて)もいいと思う。
→「推し」についても、エネルギーをもらえる活動だと思う。
→「刀剣男子」についての推し動画をYOUTUBEで見た。それぞれが推しのキャラクターについて語っている。語ることが楽しい。好きなものを見つけて元気をもらう方法もある。活力につながる。
→自分も「推し活動」をしているが、元気をもらうけれど、いやしではない。活力の源。
 自分の思う「究極のいやし」は寝ること。ひたすら寝る。すると翌朝は考えがプラスの方向に行く。
→「推し活」は、いやしにつながると思っていたが、違う場合があると聞いて驚いた。また、自分にとっての「究極のいやし」は今は思いつかない。考えてみたいと思う。
→いやしの定義は何だろう?元気をもらうことじゃないの?
→推しの話を聞いてもらうのは、いやしにつながっているんだと思う。推しの話をして、人に受け入れてもらえる、承認されるのが、いやしにつながるのでは?要は対話が大事だと思う。
→いやしの定義は、自分なりには、マイナスをゼロに戻すこと。ゼロからプラスになるのは、元気や活力をもらうこと。
→わたしの究極のいやしは、静かな美術館で作品鑑賞すること。そうすると心がフラットに戻れる。習慣の中から自分に向き合う時間があるといい。

休憩

後半は、「究極のいやし」とは何か。の続き
・お酒を飲むこと
・好きなことをやること。そこから、好きなことを仕事にすること。さらにそれで食べていけると、究極のいやし、となる。実際に自分はやりたいことを仕事にしている。仕事をしているとストレス解消になる。
→私は、仕事は仕事で割り切っている。好きではない。コロナの影響でここ数年で仕事が変わったので、仕事がなくなることがストレス。だから仕事がある状態はよい。でも好きなことが仕事になっているわけではないので、バランスが大事。
→私は人と関わると疲れるので、それがストレス。でも一人だと寂しい。そこで、いやしとしては映画を見に行く。自然の中でのヒーリングもいい。マイナスからゼロになる感じ。
→絵画や映画は見て、いやされる。作り手がいやされるものを作ったということ。
→絵画や映画を見ることは、能動的に行動しているが、他人の作ったものでいやされている、受動的なものといえる。寝ることは、能動的。
→自分は、日向で本を読むのが究極のいやし。仕事は好きだが、ストレスはたまる。運動も好きだが、やってる間は苦しい。でもすっきりする。
→いやしが不要になる状態が、理想的。

皆さんの感想
・「いやしの定義は、マイナスをゼロに戻すこと。ゼロからプラスになるのは、元気や活力をもらうこと。」という言葉が印象的だった。
・やはり、いやしは五感から入る場合が多いと思った。
・「いやしと気分転換の違いは何か?」という問いが自分の中に生まれた。
・「いやし」という言葉を嫌う人がいると聞いて、驚いた。
・好きなことを好きなように言えて、それを受け入れてもらってよかった。
・対話ができて、いやされた。

まとめ
・前半の問い「いやし」というのは、問題から一時的に逃げているだけではないのか?「いやし」では根本的解決にはならないのではないか?に対しては、その問題の大きさによって対応が異なるということが分かりました。解決できない、どうにもならない問題に対しては心の状態を保つために、一時的な避難が必要。そのための「いやし」という風に私は捉えました。
また、最後に「いやしと気分転換の違いは何か?」という問いを発する方がいて、また、もやもやが増えました。ありがとうございます。
・今日はアシスタントとして中一男子を連れてきましたが、2時間という時間は彼にとって、長かったようです。また次回もアシスタントをお願いしたいところですが、首肯いただけるか不透明です。

参加してくださったみなさま、良き時間をありがとうございました!

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