LIFE – fluid, invisible, inaudible…  高谷史郎インタヴュー

『intoxicate』Vol.74(2008年6月)

 二〇〇七年に山口情報芸術センター(YCAM)の委嘱によって制作、展示され、続いて東京のNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)において展示された、坂本龍一と高谷史郎によるインスタレーション《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》(以下《LIFE-fii》)は、一九九九年に上演された坂本龍一のオペラ《LIFE》を、坂本の言葉を借りれば「換骨奪胎」して再構築したものである。
 《LIFE-fii》は、リニア(直線的)な時間軸を持ったオペラ《LIFE》に対して、ノン・リニア(非直線的)な構造を持つものとして構想、制作された。そこには、上演という形態で、特定の時間、場所での一回性において再現されるオペラから、展示という形態で、ある展示期間を継続して生起するようなシステムを持ったインスタレーションへという、大きなフォーマット上の転換がある。
 二〇世紀という激動の歴史を、その音楽史と重ねあわせて総括しながら、さらに現在から未来へ向けて、共生と救済のヴィジョンを投げかけてみせたオペラ《LIFE》は、それ自体が音楽、映像、音声、テキストによる二〇世紀のアーカイヴでもあった。《LIFE-fii》は、その膨大な量のデータを素材として制作されたものである。3×3のグリッド状に配置された九つの水槽には水が張られ、霧発生装置が具えられ、そして、中空に吊られている。水槽の水面および霧には映像が投影され、九画面のマルチ・スクリーンとなっている。また、それぞれの水槽に二台、計一八台のスピーカーがセットされ、それぞれ映像と音響がランダムに生起することによって、不定形な全体が構成される。真暗な空間に浮かび上がる映像が闇と対比され、静謐かつ時に大音量で鳴り響く音響は沈黙と対比される。
 オペラ《LIFE》は、舞台上の歌手、演奏家、指揮者としての坂本、そしてエピローグにおけるどこか巨大なモニュメントのごとき崇高さをたたえた映像など、きわめて実体的ともいえた舞台作品であった。それに対して、《LIFE-fii》は、水や霧といった不定形でうつろいやすく、制御不可能なものを支持体とした映像とランダムをプログラムした音楽によって、非実体的でありかつ非物質的な、アトモスフェリックな作品であったといえるだろう。題名がそのヴァージョンを端的に表わしているように、まさにそれは「流動的な、不可視な、不可聴な」ものを感覚するための装置(インスタレーション)となっている。
 そして《LIFE-fii》を、展示会場で撮影されたインスタレーションの映像と、作品に使用されたオリジナルの映像素材によって再構成し、映像作品としてパッケージ化したものがDVD《LIFE-fii》である。

 そもそもの始まりは、展覧会では、インスタレーション会場でライヴ演奏も行なわれているように、ライヴでも使用可能な映像と音楽を収録した素材のデータ集のようなものだったという。とはいえ、それは九つの映像ソースをそのまま九枚のDVDに収めたというようなものではない。当然のことながらDVDヴァージョンでは、技術的な制約から、シングル・チャンネルによる一画面での視聴を前提にしたものになることは避けられない。また、ランダムに生成されたものがベースになっているにせよ、作品には始まりと終わりがあり、直線的な時間軸にそって展開するリニアな構造へと再度、再構成されることになる。それは《LIFE-fii》が持っていた、つねにひとつの状態にとどまらない、流動的な性質を持ったものから、作品が映像として固定された状態に定着され、再現されるものへ変化することを意味するが、むしろそうした性質の転位こそがこのDVD制作の意図のひとつであるといえるだろう。オペラからインスタレーション、そしてDVDへ、《LIFE》という巨大なコンセプトは、異なる次元に投影され、さまざまな形態の作品としての展開可能性へと開かれている。
 DVD《LIFE-fii》は、サラウンドによる音響システムをはじめとして、展示空間の映像では、会場の視点移動や、会場の床に仰向けになって水槽を下から見上げたアングルなどから作品を追体験するような映像や、映像の画面内に九画面を分割構成することによって、インスタレーション空間が擬似的に理解、体験できるような演出がなされている。しかし、このDVDは《LIFE-fii》の単なる予備記憶として映像化されているだけではない、DVDとしてどう構成できるかを考えた、独立した映像作品として制作されている。
 DVDはまず、映像が先行して編集され、それに対して音楽が再構成されたという。通常、音楽と映像の関係では、音楽をきっかけとして映像が編集されることが多い。しかし、《LIFE-fii》では、音楽と映像とはそれぞれがランダムにプログラムされ、確定的な関係で結びついているわけではないために、編集された映像に対して音楽がリコンポーズされ、さらに両者で細かな微調整のやりとりを行ないながら完成された。それは、数多くの選択肢の中から最適なコンポジションを決定する作業だったという。異なる映像のシークエンスごとにシーンが順に展開していくDVDは、会場で収録された映像素材だけではなくオリジナルの素材が使用されているが、それは、より映像の意味や効果を明確に見せるためにインスタレーションの映像と置き換えられている。

 このDVDであらためて意識されたのは、不定形な霧や霧発生装置がつくる水面の波紋といった水槽の状態のディティールと、そこに反映する光線としての映像、そして、プロジェクターから投射される光の存在であった。それらこそは、体験としての映像を意識させたものであり、それらをもうひとつの映像体験として昇華させたものがこのDVDだといえるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?