新しい楽器とTENORI-ON——未来の楽器とその可能性
『intoxicate』Vol.72(2008年2月)
ごく一般的な側面からとらえるなら、ある音楽は、それが演奏される楽器をあらかじめ指定、あるいは想定した上で作曲されるか、または、音律や音域が指定され、それを演奏可能な楽器によって代替が可能なものとして作曲される。そうであるならば、音楽とは、音域や音色などといった、ある楽器の持つ固有の仕様からの制限を不可避に受けてしまうものであり、その制約の中でしか生みだされないということになる。
もちろん、いわゆる五線譜によらない図形楽譜による作品や、設定されたルールにもとづくような、楽器や楽音といった要素に限定されない、演奏家による解釈の自由や即興の要素が導入されるものなども広義の作曲の範疇にある。また、ピアノ線にいろいろな物を置いたり挟み込んだりしてピアノの音色を変化させるプリペアド・ピアノのように、既存の楽器に手を加えてそれを異化することによって、楽器の持つ音色を拡張し、その固有の音の束縛から解放する方法論も生みだされた。さらには、磁気テープに記録された具体音によって作られたミュージック・コンクレートなどの楽器によらない作曲技法(テープ・コンポジション)は、音楽が楽器によって作曲、演奏されるものであるという固定観念を覆すものとなった。そこには、録音スタジオでの編集作業をもうひとつの楽器であるとみなしたフランク・ザッパからサンプリング・ミュージックやプランダーフォニック(剽窃音楽)にいたるまで、作曲という概念を拡張する試行の系譜を認めることができる。
一方、一九世紀末には最初の電子楽器が開発される。一八九七年には巨大な発電機によって正弦波を発生させ、それを電話回線を通して聴く楽器「テルハーモニウム」が登場している。それは、鍵盤というインターフェイスによってコントロールされる、現在普及している鍵盤型シンセサイザーの原型といえるものである。このような、電子楽器がその黎明期から要素として持っていた鍵盤楽器とのアナロジーは、電子楽器が新しい音色の探求という表現能力を拡張する試みでありながら、それを実演するためのプラットフォームは依然として既存の楽曲および楽器をモデルにしたものであるということを端的に表わしている。
一九二〇年にロシアのレフ・テルミンによって発明された電子楽器「テルミン」は、ふたつの発信器から発される高周波どうしの干渉による「うなり」によって可聴域の音を生じる現象(ヘテロダイン)をその原理としている。周知のように「テルミン」は、アンテナが感知する静電容量の変化によって周波数をコントロールすることで音程を変化させるという演奏方法によって特徴づけられる、鍵盤のようなものを持たずに、楽器に直接触れることなく演奏することが可能な、非接触インターフェイスを持つことが従来の楽器との根本的な相違である。「テルミン」が、光などが空間を伝わる媒質と考えられていたエーテルを演奏する楽器であると称されていたのはこのことに由来する。このような、これまでの楽器の概念を刷新し、新しい音楽を導く可能性を秘めた画期的な発明であったはずの「テルミン」は、クララ・ロックモアのようなヴァーチュオーゾを得ながらも、しかし、それゆえに旧来的な音楽を再現するための楽器にとどまってしまったともいえる。もちろん、現在でも多くの演奏家が「テルミン」の新しい演奏法や使用法を見つけだしているように、その可能性の再発見はいまなお継続中だといえるだろう。
このような、楽器や録音技術の発達史の中で、新しいメディアに対する使用法を異なる側面から再検討することによって奇想天外なアイデアが発案されている。ハンガリー生まれの美術家ラズロ・モホリ=ナジは、一九二三年にレコードに演奏された既製の楽曲を録音するのではなく、直接その盤面自体に音溝を刻むことによって音響を発生させることを提案した。すなわち、レコードをある演奏や録音を再現するための複製メディアとしてではなく、それ自体が直接に作品として制作、演奏されるメディアとして読み替えることによって新たなメディアをつくりだすことである。それは、「原理的にはその刻み次第でどんな楽器のどんな音も出るようにできる」はずのものであり、「この刻み方のアルファベットのようなものをきちんと確定できれば、これまでの楽器がすべて不要」になるような、あらゆる楽器を再現可能な汎用性のある「一般的な楽器」にすることができる。さらには、「その刻みの視覚的な形をもとに、従来の音楽を基礎づけてきた音階システムにかわって、新たにグラフィックかつメカニックな音階システムを考案すること」を可能にするものだという。なぜなら、「従来の音階システムは一千年も前のものであり、今われわれがそういう制約にとらわれなければならない必然性などない」からだと言う[★01]。
つまり、新しい楽器の発明とは「楽器の発明」である以上に、それによって演奏される音楽自体が、いままでの音楽を刷新するようなものへと変化させられてしまうものであるという意味で、新しい音楽の発明と同義なものとなる。それは、二〇世紀初頭の前衛芸術運動であるイタリア未来派の画家ルイジ・ルッソロが一九一三年に考案した、自動車や飛行機のエンジン音、サイレンなどの音を模した音響を発する騒音楽器「イントナルモーリ」が、ルッソロの提唱した騒音芸術(アート・オブ・ノイズ)を演奏するための楽器であったように、新しい音楽のあり方の発明が新しい楽器を生みだし、また新しい楽器の発明が新しい音楽を生みだす契機となり得るということを示唆するものだろう。
メディア・アーティストの岩井俊雄は、これまで「映像と音を結びつける」ことをテーマに制作を行なってきた。なかでも、一九九五年に制作された《映像装置としてのピアノ》は代表的なもののひとつだろう。グランドピアノの鍵盤へと続く水平のスクリーン上に引かれたグリッドに、トラックボールで絵を描くように光の点を置いていくと、それがそのままスコアとなって鍵盤へと送りだされてピアノを鳴らす。そして、その鳴らされた音に応じてカラフルなパターンのCGによるイメージが生成され、ピアノから垂直のスクリーンに立ち上り、音の減衰とともに消えていくというものだ。岩井のこのような作品は、音と色彩との共感覚をアイデアの基礎とするものである。それは、ロシアの作曲家スクリャービンが考案した、ある音がそれ自体の固有の色を持つという考えにもとづいて、弾かれた音に応じて異なる色の光を放つ楽器である「色彩オルガン」をその先例と考えることができる。
また、レンズ状の受光部をもった手のひらサイズのデヴァイスをある光源に向けると、その光の波長の違いによって多様な音を聴くことができる《サウンドレンズ》は、光が音に直接的に変換される作品である。興味深いことは、異なる種類のさまざまな光から聴こえてくるのは、これまでの岩井の作品で聴かれたような既製のMIDI音源による音ではなく、むしろノイズと言ってもいいものであり、それは、グリッチやクリックといった、当時のコンピュータ/電子音楽の特徴的な動向へのリアクションとも受けとれるものだったことだ。
そして、先頃ようやくヤマハより製品化された電子楽器《TENORI-ON(テノリオン)》は、岩井によってその構想から実現にいたるまでに六年もの年月をかけて制作されたものである。それは、これまでの岩井の作品をそのエッセンスとしながら、より汎用性の高いインターフェイスである楽器として実現されたものだ。それは、《TENORI-ON》がピアノやヴァイオリンやギターといった、普遍的な楽器として位置づけられることをめざしたプロジェクトであることを意味している。
《TENORI-ON》は、一六×一六のグリッド状に配置されたLEDボタンを操作し、グラフィカルに作曲、演奏することが可能な「グラフィックかつメカニックな音階システム」を持っている。それは、岩井がオルゴールに想を得て、楽譜の読み書きができなくとも絵を描くように音楽を作曲、演奏するためのシステムとして自身の作品に導入してきたものだ。また、開発にあたって、クラフトワークから元YMOの三人、コーネリアス、ジム・オルークなど、テクノ・ミュージックのオリジネイターから現在の先鋭的音楽家にいたるまで多くのミュージシャンによるテストを行なっていることは、《TENORI-ON》から新たな音楽が引きだされる可能性を意図したものだろう(すでに、嶺川貴子はペンギン・カフェ・オーケストラのトリビュート盤で《TENORI-ON》を演奏しているし、ビョークもライヴで使用しているという)。
かつて岩井は、池田亮司やカールステン・ニコライのライヴ演奏にふれて「肉体性の喪失」という感想を持ち、演奏者の存在が希薄な、音だけを聴くライヴに対するものたりなさを表明していたことを思い出す[★02]。音楽とは演奏という行為をともなう、人の手の介在およびその技能によってリアライズされるものであるという考えがあるように、《TENORI-ON》は岩井にとってコンピュータのソフトウェアのようなものではなく、それが特別な習熟を必要としないものであったとしても、より身体的な演奏をともなうパフォーマティヴな「楽器」でなければならなかった。
《TENORI-ON》が、新たな音楽の形式を生みだす未来の楽器としてのスタンダードになるかどうかは未知数である。しかし、その楽器に内在する可能性を再解釈し未踏領域に押し広げることのできる音楽家によって新しい音楽が導きだされる可能性を持つものとして《TENORI-ON》は、ある意味ではすでに岩井の手を離れた未来の楽器としての第一歩をようやく踏み出したといえるのかもしれない。
註
★01——渡辺裕『音楽機械劇場』新書館、一九九七年
★02——久保田晃弘監修『ポスト・テクノ(ロジー)・ミュージック——拡散する〈音楽〉、解体する〈人間〉』大村書店、二〇〇一年
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