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Investigating the “Flow” Experience:Abuhamdeh (2020)

Twitterで紹介されていた論文で,フロー概念の操作的定義のレビュー論文。対象になったのは最近5年間のものだけだが,著者によればその多くが,チクセントミハイのもともとの概念化とは異なる操作的定義を用いているという。何が問題なのか。どうすればいいのか。

3つの問題点

ここでは,フローの操作的定義について論じられている論文42件が対象になっていて,分析したところ24種類の操作的定義があったという。そこで問題点は3つあるという。(1)フローは連続的な概念かそれとも離散的な概念か,(2)フローの操作的定義に「楽しさ」が含まれるべきか否か,(3)フローを生起させる課題の特性がフローの操作的定義に含まれるべきか否か。著者の立場としては,(1)離散的,(2)非常に楽しい,(3)含まれるべきでない,である。

連続的 vs 離散的

多くの論文では,フローを連続的な概念として扱っていたという。すなわち,「低いフロー」から「高いフロー」まで,フローには段階ないしレベルがあるのだという論じ方である。尺度を用いてある心理学的概念を測定すると(測定できていたと仮定しよう),その概念の段階の強さあるいはレベルなどを「得点化」することができる。もっともわかりやすいのは,知能テストを用いると,テストを受けた人の知能のレベルが点数として表されるし,性格テストでは性格傾向(外向性とか誠実さとかの因子ごとに)が,一般的な傾向に比べて高いか低いかがわかる。

それと同じように,フローを測定すれば,フローが得点化される。しかし,著者はこれを批判する。チクセントミハイの定義によれば,フローは,人生の中で比較的稀に起こる状態=「最適経験」であり,フロー状態にあるか,そうでないかが問題にされているという。だから,「低いフロー」という説明の仕方は,「穏やかな怒り」みたいな,よくわからない概念になってしまうと論じている。

なぜこうなってしまうかというと,先に述べたように尺度を使って得点化するからである。フローを研究した論文では,教室で,あるいは実験室で,何かの活動をさせた後に,フロー質問紙を用いることがある。しかし,フローがそもそも,めったに起こらないもの(チクセントミハイ, 1975, 1990),非日常的な意識状態(Abuhamdeh, 2020)であるなら,教室や実験室で測定されたある「状態」は,フローに似ているかもしれないが,そうではないものである可能性も大きいということになるだろう。だから著者は,それはフローではないから,よく似た概念として「課題関与」というのがあるから,そっちで研究してね,と言っている。

もともとチクセントミハイの概念化はそれほど明快なものではなく,著者も,チクセントミハイ本人による操作的定義が揺れていることを指摘しているので,彼の最初の著書「退屈を不安を超えて」での説明にどこまで忠実に操作的定義するかは疑問も残る。けれど,感覚的な理解としては,フローはやはり非日常的な経験であり,めったに起こらないとする理解,つまり,フローか,そうでない(あるいはそれに近い)という離散的な概念として理解するほうが良いと思う。この点,鹿毛(1994)の「特に自己目的性の高い一過性の状態を記述する語」(p.110)とする理解と共通しているといえる。

フローは楽しいか

2つ目の問題点は,楽しさについてである。この部分は少々議論が強引である気もするのだが,著者の立場は,非常に楽しい経験である,とするものである。しかし,多くの操作的定義には「楽しさ」が含まれておらず,その理由についてさまざま述べられている。この部分,感情心理学の知見を踏まえた反論は興味深いのだが,省略して,もっとも重要だと思える部分だけ書いておきたい。それは,「楽しさ」を表す用語についてである。

フローの「楽しさ」については,チクセントミハイの意味深な表現がある。

In his book Flow (1990), Csikszentmihalyi wrote, “None of these [flow] experiences may be particularly pleasurable at the time they are taking place, but afterward we think back on them and say, “That really was fun” and wish they would happen again.” (著書『フロー』(1990年)の中で,Csikszentmihalyiは次のように書いた。「これらの〈フロー〉経験のどれも,経験している最中には楽しいものだとはいえないかもしれないが,後にそれらを振り返ったときに,『実に楽しかった』と言い,もう一度起きてほしいと願う」。)

なんだ,本人が楽しくないと書いているじゃないか,というのは早合点だというのが著者の主張で,ここで使われている用語に注意せよという。前者はpleasurableである。これはあえて日本語で訳し分けると「快楽」になると思われるが,チクセントミハイはこの語を,生理的欲求を満たすもの,つまり食事や休息による恒常性の回復について用いているという。後者はfunであり,あえて訳し分ければ「幸福」につながる「楽しさ」ということになる。

Thus an artist who stayed up all night feverishly working on a painting, foregoing both food and rest, did not have a “pleasurable” experience according to Csikszentmihalyi’s usage, because the behavior did not satisfy any biological needs (in fact it was in conflict with them). (したがって,食事も休息もせずに一晩中熱中して絵を描いていた芸術家は,その行動が生物学的欲求を満たしていない(実際それらと対立していた)ために,Csikszentmihalyiの意味する「快楽的 pleasurable」経験をしていないのである。)

もう一つ,素直にうなずけない気もするのだが,この「快楽」と「楽しみ」の違いについては,別の文献では,ヘドニズムとユーダイモニアの対比として論じられている。そしてこの議論はアリストテレスにまでさかのぼることになる。

この議論が,なんだかよくわからないような,キツネにつままれたような気分になりながら,やはり重要な論点を示していると思えるのは,生物学的欲求を無視してまで活動に没頭することが,なぜ(事後的にではあるが)「楽しかった」と認知されるのか,ということである。放送大学で勉強していることに対して,「もっと楽しいことをすればいいのに」という言われ方をしたことがある人がいる。つまり,勉強は楽しくないと思っている人がいる。が,放送大学生の中には勉強が楽しい人がいる。日常生活で求められるものとは異なる認知的努力が必要な「勉強」という活動を,なぜ「楽しい」と思えるのか,覚えたことをすぐ忘れてしまう,試験でなかなかいい点数が取れないというモヤモヤを抱えながら,なぜ勉強を(おそらく事後的に)楽しいと思えるのか。などということを考えていると,確かに,快楽と楽しみというように,種類の異なる楽しさを想定することが議論の整理に役立つように思えるのである。

フローの条件はフローなのか

3つ目の問題は,フローの先行条件をその操作的定義に含めるかどうかということである。著者の立場は「含めない」である。先行条件とは,チクセントミハイが,フロー状態の特質を説明するために示していることがらで,「意識の集中」とか「明確な目標」とか「即時のフィードバック」など,9つの要因あるとされている。ただし,著書や論文によって表現がゆれている。

たとえば「明確な目標」について考えてみると,何かに夢中になって取り組んでいる人は,おそらく「明確な目標」を持っていることが多いだろう。しかし,「明確な目標」を持っているから,その人がフローを体験しているとは言い切れない。チクセントミハイが掲げている9つの特徴は,フローを体験している人にみられた特徴であるのだろうが,それらがすべて(あるいは複数)あるからといって,その体験がフローと呼ぶにふさわしいものかどうかはわからない。可能性が高いかもしれないが。

そこで,「明確な目標をもっていたか」「フィードバックはあったか」などの項目ではなく,本人の意識状態を直接たずねてはどうかという考えに至った研究者がいて,「コアフロー尺度」なるものが開発されている。これはこれで面白い研究なのだが,別稿にまわすことにする。

まとめ

途中に書いたことに戻るのだが,いまの私の関心は,ある人がフローを体験したかどうか,フローを体験するにはどういう要因が必要なのかということではない。そうではなくて,なぜ認知負荷の高い(あるいは身体的負荷の高い)活動が,たとえ事後的にではあるにせよ,「楽しい」と感じられるのか,である。活動している本人のパーソナリティによるのか,あるいは取り組んでいる課題のなかに,フローに入り込めるような〈構造〉みたいなものを発見する,あるいは創り出すことができるからなのか。それとも,まったく別の要因があるのか。

自分で書いていて,そんなこと,わかるわけないでしょう,と突っ込みたくなるのだが,思っているという事実は確かに事実なので,ここに書いておくのである。