國分功一郎「近代政治哲学」を読む

國分先生の本は前から好きで,「暇と退屈の倫理学」は,早く2回目を読み進めたいと思っているのですが,なかなか取りかかれません。図書館で偶然みつけた「僕らの社会主義」をきっかけに,やはり自分としてはウィリアム・モリスやジョン・ラスキンが気になる,と同時に,そこにつながる政治哲学として,この本も気になる。ということで,読み進めているのですが。これが面白い。哲学がこんなに面白いなんて。

ついでに,なんかかっこいいサイトができていたので,ここに貼っておきます。またいつか見たくなる気がするので。

國分先生がなぜこの本を書こうと思ったのかというと,

今の僕たちにとってなぜこの古典が重要なのか,それを自分で考えを示してみたい。

超かっこいい。

ところで,この本の前半で一番面白いなあと思ったのは「自然権」です。人はもともと自然状態にある。自分の思い通りに行きたいと思っている。そういう自由をもっているという事実を自然権というのだそうです。ここを出発点として,だから社会契約をしないと戦争になるのだ,と言ったのがホッブズ。だから人は自然権を「自制しながら」生きている。自由と言ってもおのずから制約があり,その中で人は生きているんだ,と言ったのがスピノザ。スピノザによれば,人は,規則に従って生きたほうが結局は平和に生きられるのだ,ということを再確認しながら人は生きている。

しかし。

規則が不必要に厳しくなるといった事態に陥れば,それに従わなくなることが十分に考えられる。・・・国家と臣民の絶えることなき緊張関係を不断に維持する努力こそが,国家や社会を健全な仕方で維持することにつながる。(p.84)

國分先生の「民主主義を直感するために」に,これを思い出させるエッセイがあります。パリの街でのデモについて。デモ隊は,プラカードなどで掲げるメッセージとは別に,デモをすること自体によってもうひとつ別のメッセージを発しているのだといいます。

「今は体制に従っているけど,いつどうなるかわからないからな。お前ら調子に乗るなよ」というメッセージである。(p.17)

スピノザが「今」とつながる瞬間ですね。

パリの街のデモは,ごみをまき散らしながらみんなでだらだら歩き,平和に(?)終わるようです。そして行列の後から清掃車と作業員がついてきて,彼らのまき散らしたごみを掃除して,何事もなかったようにすべてが終わる。面白いですねえ。そんなデモを見るためだけに,パリにいってみようかなあ。・・・趣味悪いか。