見出し画像

プロ野球ファンを決定づけた1983年の日本シリーズ

季節は12月、ということはプロ野球は完全にオフシーズン。

来季の日程やチケット販売スケジュールなどは発表されるも、シーズン中のあの熱狂を思い起こす追憶の時。

ならばこの機会にわたしのプロ野球ファン歴をもって、自己紹介をさせていただきたい!ということで、今回は第5回。

もしよかったらお付き合いください!

前回の「沿線にあのプロ野球チームが誕生!」もどうぞ。

球団創設からしばらくは、埼玉で初のプロ野球球団ということもあり、地元も戸惑っていたかもしれません。

すぐとなりの都内には全国区で知名度も人気も抜群の球団があり、ライオンズ戦の在京キー局での放送はほとんどありませんでした。

しかし、地元のテレビ埼玉では主催ゲームを放送してくれました。「ライオンズアワー」だったかな?

ところが、いわゆる実況と解説者がいるスタイルではありませんでした。

おそらくスタジオでニュース原稿を読んでいた、野球の知識に乏しいおじいちゃんアナウンサーが一人で実況らしいことをする、という内容。

小学生のわたしが観ていても、なんかヘンな実況だな、と思ったくらい。

それでもわがライオンズは球団創設4年目に中日ドラゴンズを破って初優勝を飾りました!

監督はあの広岡監督。「あの」というのは幼なじみのまねをして人生初めてファンと公言した「ヤクルトスワローズの」監督として初優勝に導いた人。

何かの因縁を感じざるを得ません。ライオンズファンとなることを約束されていたのか…。

ただ、初優勝が決まったのが敵地であったことや、相手があのチームじゃないことが自分の中での盛り上がりに欠けていたかもしれません。

そして翌年の1983年。

相手はあのチーム。在京キー局で全試合放送されている知名度も人気も文句なしのNo.1チーム。

そう、それは読売ジャイアンツ。母親に勧められるままに初めて買ってもらった自転車のチーム。巨人軍です。

対するわがライオンズは地元UHF局で解説者もいない中、ベテランアナウンサーが一人戸惑いながら放送している埼玉の一球団。

ついにV2をかけて桧舞台に立ちました!

巨人軍は西本、江川のダブルエースをはじめ、原、中畑、篠塚、山倉など挙げればキリがないほどのスター揃い。

一方わがライオンズは田淵をはじめ大田、スティーブ、テリーなどの打撃陣と東尾、松沼兄弟、ワンポイントの永射をはじめとした投手陣で臨みます。

わがライオンズはあのキラキラしたチームに歯が立つのか、下克上を果たすか否か、といった心境でした。

すでにこの頃から「人気のセ、実力のパ」と認識していて、それを証明する格好の場と位置づけ、文字どおりテレビにかじりついて観ていたことを鮮明に覚えています。

小学校高学年の少年時代の想い出です。

試合展開はまさに拮抗状態。5試合終わった段階で2勝3敗と巨人にリーチをかけられました。く、くやしい!!

そして戦地を西武ライオンズ球場に移しての第6戦。

延長10回ライオンズはサヨナラのチャンス。巨人は西本投手から豪腕江川投手へ交代。まさにゴールデンリレー。

バッターボックスには金森選手。当時のライオンズファンはもちろん知ってるものの、全国区では無名だったのでしょう。

後年デッドボールの名人として脚光を浴びましたね。

そしてこの金森選手が放ったサヨナラヒットは身震いが止まらないくらい衝撃的なシーンでした。まさに下剋上。

大げさかもしれませんが、

「あぁ、こうやって歴史って変わっていくんだなぁ」

と思ったものです。

雨天中止をはさんだ第7戦、シリーズを決めたのはテリーの逆転タイムリー2ベースでしたが、このときはもう感極まっていました。

とにかくプロ野球界に新たな光がともったとさえ思えるほど強烈な印象のシリーズ。

ライオンズファン、そしてプロ野球ファンを決定づけたシリーズです!

次回は「すっかりパ・リーグファンに染まってしまう」をお届けします。

よかったら「スキ」「フォロー」をお願いします😉

この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?