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母の自殺未遂②


母は、

私が中学2年生のときに自殺を図った。



重度の鬱病が要因で「死にたい」という

思いが強くなっていたのだろう。




きっかけや発症はもっと前なのかも
しれないが、家族が気付いた時には
もうだいぶ進行していた。

そして、自殺未遂をきっかけに
精神科の閉鎖病棟へ入院することになる。



閉鎖病棟は緊急的な治療が必要な

精神疾患を持つ患者が入院できる病棟で、

初めて面会に行ったときの光景は

まだ思春期だった私にとっては
とてもショッキングだったので覚えている。


コンクリート調で造られた無機質な病棟


沢山の鍵が着いたドアの先は薄暗く
蛍光灯が連なる長い廊下


部屋と部屋の間にドアはない。
患者にプライバシーなど一つもなく、
女性が発狂している声が響き渡ったり
中年の男性が急にこちらへ走ってきたりと

ただ、私にはおぞましい場所だった。


扉がなく奥まった部屋には
ベッドと小さな机だけ。
窓は、手の届かない程、上方にあり、
そこからは少しだけ光が差し込んで見える。


まるで刑務所だ。


母はベッドに横たわっていたが
うつろな表情をし、私の顔を見ても
ニコリとも笑わず、ただただ口を
ぽかんと開け、その目はまさに
死んだ魚の目をしていた。


鬱病の典型的な表情だと今なら分かる


それが、ついこの前までニコニコしながら
優しい声で私を抱きしめて
くれていた母だとは、到底思えなかった。



ふと手首が見えると、おびただしい数の

リストカットが見えた。


ショックで言葉が出なかった。


何故、こんなになるまで
気付いてあげられなかったのだろう?

何故、今まで自分のことばかり
考えていたのだろう?


何故、母の気持ちをもっと分かって
あげられなかったのだろう?と、私は

考え、落ち込み、衝撃と無念さと後ろめたさを

覚えた。


そして、



「そうか、全部私のせい。
母の病気も、きっかけをつくったのも
自殺をしようとしたことも、
家族がバラバラになったことも、
私がなんとか出来なかったから。

私には、この人の為に何も出来ない。
母親1人守れない私が、
これから先、誰かを大事にできるわけない。


私さえ居なければ

母はこんなことに

ならなかったのかもしれない…」



そんな思考に至ったのだ。




父は父なりに、歯を食いしばり生きていた。
当時中学生と高校生の兄と私を
元気づけなければと、着丈に振る舞い、
仕事はもちろん、家事をこなし、
部活が休みの日には色々なところに
連れて行ってくれた。

父も相当疲弊していたはずなのに、
弱音は一切吐かず笑顔を振舞っていた。
しかし、私も兄もまだ幼かった。
あの頃は現実から逃げていた。


家事は一切手伝わず、母の面会に
行くのも恐怖になった。

病気への恐怖。母に対する自責の念。

父への同情

そんな思いが煩わしく目まぐるしいと感じ、

次第に両親とどう接すれば良いのか分からなくなり、

家族の会話も減り、笑顔がなくなり
ぎこちない同居人のような家族に変わっていった。





✱ ✱ ✱


思春期真っ只中に
そんな経験をした私は
当時、この病気は触れては
いけないような気がしていて、
周りに家族の病気を話せず
悲しい事実をひたむきに隠し
友人の前では必死に笑顔を振りまいた。
ただそこにあった感情は、


孤立と虚無感だ。

私が頑張らなければ


私さえ居なければ…


誰かに認めて欲しい
私の存在を受け止めて欲しい


そんな闇に渦巻く葛藤が、
後に性に溺れてしまうきっかけに
なっていったのだと思う。

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