3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.17 「私」の確立
「ラジオドラマの脚本をしないか」
その言葉に最初、何も言えなかった。
今の私にできることはないと半ば諦めていたというのに、地元を離れて数ヵ月経って、そんなことを私が言われるはずがないと何処かで思っていた。
依頼主の彼は、私の作品を読んだことなどない。ただ、私が高校時代、演劇部の脚本を担当していたことと趣味で執筆をしているということだけを知っていただけだ。
「私、そんな力ないです!」
やっと出た言葉は情けないものだった。
正直、半分、断ろうとしていた。
コンテストに応募しても、出版社に応募しても、結果は出ない。
小説投稿サイトで投稿しても、爆発的な人気を出しているわけでもない。
ラジオドラマは身内だけで終わる問題じゃない。イベントで、不特定多数の人に聞かれるものだ。人様の耳に入ってくる話が面白くなかったとしたらどうだ。不快にはならないか。脚本だけでは終わらないのだ。収録もある。他の人たちの時間を一つの脚本のために奪うのだ。その時間を犠牲にさせるほどの力が私にあるのか。
とても怖かった。成功像よりも失敗像ばかりが私の目の前で踊り狂っていた。
「すみません。最近、大学の方が忙しくて、厳しいかもしれないです」
断る言葉はすらすら出てきた。だが、それを伝えるのに躊躇った。
遠くにいる2人の顔が脳裏を過ぎった。
依頼を受ける2人の姿を思い出した。
時間的余裕も今持つ技術力のレベルも関係なく、彼らの目を見て、喜々と承諾する横顔を私は見てきた。
時間に追われながら、ああでもない、こうでもないと悩みながらも、楽しんで描き、今、自分が出せるベストを紙の上で表現する、淀んだ視界を晴らしてくれるようなその姿。
2人の目頭が熱くなるほどのその姿を私は横でずっと見てきた。何もできない悔しさと喜々とすることへの羨ましさを痛いほどに握りしめながら、ずっと見てきた。
自分から、これからの自分を捨てにいってどうするんだ。
断る言葉をゴミ箱に投げつけた。出てこないように蓋をした。
あの2人のように、今度は私もなる番なのだ。
「まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いします」
覚悟して、伝えた。2人のように喜々とした顔はまだできていなかったが、それでも、ちゃんと依頼を受け取った。
まだ、見たこともない自分が、ゆらりと顔を出し始めた。
依頼されたのは、イベントを舞台にした儚く美しい恋物語。登場人物は最大5人の15分~30分という短いものであった。
期限まで残り16日。1ヵ月もなかった。
だが、そんなこと言ってられない。
自分にできる最大限の力を、納得のいく作品を出してみせる。
脳内で動き出す世界を、一文字ずつ打ち出していった。
小説とも演劇脚本とも違う。世界は動いているのに、書き方に戸惑った。
〆切が刻一刻と近づく。遊びの誘いも断っていく。睡眠時間も減っていく。自分の時間を脚本に捧げる。
ストレスは溜まっていた。睡魔も襲ってきた。大変で苦労していた。
だが、その苦労が、何より幸せだった。
〆切当日のギリギリに提出した。妥協はしなかった。自分の全力を出した。
イベント当日、ラジオドラマが流れたらしい。
今でも、どんな仕上がりになったのか、私は知らない。
作品の感想も聞いていない。
しかし、一つの自分にできることを他者のために形にしたことが、私にとっては大きな価値になった。
不意に、小・中・高校時代を思い出した。
教室で一人、ひたすらノートに小説を鉛筆で書き殴っていた小学時代。
パソコンの使い方を覚えて、親の目を盗んでは夜な夜なWordでひたすら自分の頭の中を文字にしていた中学時代。
倒れるほど、睡眠時間を削って、脚本を書いては直し、書いては直しを繰り返していた高校時代。
――あるじゃないか。
2人が何か持っていることが羨ましかった。自分には何もないとずっと足許を見ていた。
私も何かしなきゃとずっと目を血走らせて探していた。
どうして気付かなかったんだ。
私にもあったじゃないか。
ずっと、持っていて、当たり前すぎて気付かなかった。
3人とも自分の中にあるものを表現することが好きだ。
2人は、よく「描いて」表現していた。
私は、「書いて」表現するのだ。
これが、私なんだ。
指先に、2人の背中が触れた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 自分の記録やこんなことがあったかもしれない物語をこれからもどんどん紡いでいきます。 サポートも嬉しいですが、アナタの「スキ」が励みになります。 ……いや、サポートとってもうれしいです!!!!