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普通コンプレックス

私には普通がよくわからなくて。
そもそも普通=多数派だとしたら、必ずそこには少数派が存在するはずで。
私は運がいいのでその当たりくじを引く率が高いと思う。
そんな私の独り言をちょっとだけきいて。

神様の気まぐれか悪魔の出来心かわからないけれど、私は障害者一族に産まれた。
末っ子だから、産まれた時はもうカオス。
世紀末。この世の終わり。
父は目が見えず、母は弱視で2番目の兄は重度の知的障害を伴う自閉症で私が2歳になるころには実質お姉さんになった。
おませさん。

でも家庭の中が全てだと思っていた幼少期は何の疑問ももたなかった。
むしろ幼稚園では車椅子ユーザーのお友だちには、表面上は仲良くしながらも子供特有の残酷さで特殊な視線をおくっていた。
お前も人のこと言えないのに、むしろ大人たちからは既に同じ視線をおくられていたのに、我ながら酷い奴だ。

小学生になり、自分の普通が世間の普通ではないことを徐々に悟った。
そこで私は、自分ではどうしようもないこと、理不尽なこと、全てをまるっと受け入れることにした。
ゆとり世代でもないけど、悟り世代の先駆者だ。
特にいい子に振る舞った記憶もないし、そんなつもりもなかったけれど、もうすでに親は頼る存在というよりはケアをする相手となり、本音で話す関係ではなくなっていた。
自分の感情はいつも後回し。
むしろよくわからなくなっていた。
自分の安全地帯がどこかよくわからなくなり、レッドゾーンとグリーンゾーンは区別がなくなり、ゾーニングめちゃくちゃ。
YouTubeで告発する勢いだ。

でもそれが普通だと思っていた。
女の子の一大事であろう初潮がきても親に伝える方法がわからず、人生初の生理痛に耐えながら学校で習った方法でひっそりと処理した。
実はこれは障がい児キャンプにきょうだい班で参加中の出来事だったので、ボランティアの大学生のお姉さんに相談すれば一発解決の案件だった。

その後も複雑な、でもこの時期はきっと誰にとっても複雑な、思春期を過ごし、親の希望と折り合いをつけた大学に進学し、きょうだい児にありがちな医療職についた。
普通について教えてくれなかった普通科に進学した高校時代や大学時代はこれで割愛。

それから今までたくさんの新たな友人に出会っても、決して

普通はこうじゃない?

とは言わないようにしている。
私の普通じゃないであろう普通の尺度を押し付けないように。
特殊な視線をおくらないように。

一人暮らしももう15年以上。
それでも私は自宅に人を招くことが好きではない。

わからないのだ。

どんな家が相手にとって違和感がなく普通なのか。
どこまで整理して掃除していれば普通なのか。
スリッパは必要なのか。
グラスはお揃いじゃないとだめなのか。
コースターは必要なのか。
最近のもっぱらの悩みである香水をつける加減がわからないのと似ている。
ハラスメントにならない程度に自分だけがひっそりと抱えておけばいい悩みなのかもしれない。


世界が広がれば広がるほど、友人たちの生活を知れば知るほど、普通への諦めきれない想いが溢れる。
私は本当に普通の人は考えもしないことでつまずいているのだろうし、誰かがぶつかっている壁の、存在にすら気がついてないこともたくさんあるのだろう。

その悩みを共有できるステージが遠く眩しく、でもきっとみんな同じだ。そう信じたい。

キナリの由来は事実は小説より奇なりなんだそう。
私は今もまだ小説の中に生きているよう。
インド映画みたいな超長編映画だったらどんな結末にしようかな。
私がインド映画を観る時に感じる、自分の人生とは違う次元の世界を観ているような、でも共通の問題を抱えているような不思議な感情、あの感情を与えられる人になりたい。

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