歴史学と哲学との地平(言葉の限界?)
九條です。
今日は出身大学のゼミに呼ばれて講師をしました。講義が終わってから、お茶を飲みながらの雑談で、ある学生さんから、
「文化というのは、どうやって生まれるのでしょうか?」
と問われました。
う〜ん、こっ、これは難しい💦
ある意味、永遠の課題なのかも知れません。
私は、
「文化というものは、人の心の中から生まれるものだと思います。すなわちその時代の文化をある程度理解できれば、その時代に生きていた人たちの心を感じることができると思います」
と、答えました。
あっているかな🤔
不安です。
実際には、私たちが例えば「資(史)料」「遺跡」「遺構」「遺物」などとして知っているものは「文化」という形而上学的な現象を、形而下に表現した「モノ」なわけですから、その残された「モノ」を通じてしか私たちはその当時の「文化」に触れることができないわけで、そこのところが(直接的に文化を肌で感じることができないところが)いつも非常にもどかしく感じています。
そしてそのこと(そのもどかしさ)自体が、どうしても十全に言葉では表現しきれないことなので、私は言葉の限界も常に感じています。ただ、このようなことを言い出すともはや「歴史学」ではなくて「哲学」となってしまうのかも知れません。
けれども、哲学と歴史学との地平は当初は同じで、古代ギリシア時代の頃に哲学から歴史学などの人文科学や法学などの社会科学が発生したのですから、歴史学の方法論を突き詰めるとどうしても「哲学的」になってしまうと思います(法学も同じだと思います…たぶん)。^^;
そういったことを考え出すとキリがないですね。哲学と歴史学とが交わる地平を超えることは、すなわち単純化すれば「文化」つまりはその時代の空気感やそれを生み出した人々の心を言語で表現することは、人間の思考力の限界を超えることなのかも知れません。
まぁ、そのことに気づけば、正しく歴史学の方法論の地平に立っているとも言えるのかも知れませんね。
歴史というものは、全体(俯瞰)的視点から個々の事象の断片を詳しく検討して全体像を再構築して行くという方法論を持った学問であり、その基本は哲学や法学等とも通じるものがあるのかも知れないと思います。
歴史においては個々の断片的事象(例えば1つの事件)から全体像(歴史の流れや時代の在り方)を見ようとしたり、色々な断片的事象だけに注目(つまみ食い)していると全体像を見誤るものだと思います。
その点が自然科学とは異なる部分だと思います。自然科学においては全体像はほぼ未知の領域ですから、断片から全体を推測するしかない、そういう方法論を持った学問だと思います。
学生さん、こういうことに気づいてくれたら嬉しいなと思います。
今日は、こういった大学ならではのアカデミック(フィロソフィカル?)な思考と会話が久々にできて、とても嬉しく楽しい1日となりました。^_^
なんだか難しい抽象的な話ですみません…。
※見出し画像は、アテネのアゴラに現存しているヘファイストス神殿(テセイオン)。約2,400年前(紀元前415年頃)の建物。ギリシア本土では最も残りの良い古代ギリシア時代の神殿。
©2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
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